PTL(プロジェクト・チーム・ラーニング)にて

PTL(プロジェクト・チーム・ラーニング)にて

Posted by on 5月 25, 2016 in 授業

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私が現在所属している九州大学大学院の「ユーザー感性学専攻」では、PTL(プロジェクト・チーム・ラーニング)という演習の枠組みがあります。この演習は、「実社会の問題の解決にチームで取り組み、知識を知恵に変換し、生の喜びと社会の満足を協力して創造してくことのできる人材の育成を図る」(ユーザー感性学専攻のHPより)ことを目的としたものです。具体的に言うと、各先生方が普段関わっているプロジェクトに、学生さんも参画し、実践的に問題解決のための創造を行うというものです。ユーザー感性学の先生方は、多種多様の専門を持っていらっします。生理人類学や医学、植物系統学、工学、パブリックデザイン、ブランドデザイン、情報デザインなどなどの先生方が、企業や具体的な施設、地域などと関わって共同研究を立ち上げたり、調査研究を受託したりしています。私もPTL、受講者になりたいぐらいです。

私も前期と後期の通年で、前回のブログでも記述した伊万里のプロジェクトを、学生さんと一緒に取り組んでいます。最初、履修を希望してくれたのは2名でしたが、昨年の後期に「地域デザイン論」を受講してくれた修士2年や、農学部系の学生さんなど、計7名が参加してくれています。

写真は第3回目の授業の様子。宿題で丁寧に文献を読んできてもらったのを元に、伊万里の地域資源となるものを拾い出しています。みんな真剣。

そういえば、学生さんから第2回の授業で、「なぜ伊万里をフィールドに選んだのですか?」と質問されました。私にとってフィールドは、これまであまりこちらから選ぶものではありませんでした。きっかけは、紹介が多い。誰かが、その土地と私を結びつけてくれて、そこからプロジェクトが始まります。もちろん、自分発信で研究してみたいテーマや地域もあり、それは科研費などの国の助成金の枠組みを申請したりしますが、それもまた、きっかけがすでにあって、自分なりに研究を深めてみたいと思うものが多い。伊万里も同じで、藤田先生と三島先生の紹介があって、関わるきっかけを得ました。始まりはこんな(受け身)ですが、伊万里でやりたいことが見つかり、PTLでみんなで取り組んでいくことにしました。

それは、「知名度の高い特定の資源のイメージ」ではなく、もっと具体的に伊万里という地域の歴史や文化、人の思いを、私たちなりに見つけ出して、それを共有するために編集してみたいということです。「知名度の高い特定の資源のイメージ」とは、岐阜県白川村でいうところの「合掌造り」、佐賀県伊万里市では「伊万里焼(陶磁器)」のイメージ。観光地としては、こう言った目立つ観光資源がある、その知名度が高いということは必要なことだと思います。でも、それだけでは決してない。私たちよそ者が関わる意義は、新鮮な目で伊万里の面白さを再発見することにあると思います。そうでないと面白くない。

話は変わって、今美瑛でフェノロジーカレンダーを作成するためにみんなで行ったヒアリング記録を読み直していますが、地元の人が語る話はやっぱりとってもエキサイティング。きっとお話してくださっている方は、当たり前のこと、日常のことを話しているという感覚かもしれませんが、そこには自分と違う仕事・暮らし・習慣がたくさんあって、ちょっとしたエピソードが凄い。私自身が代弁者となって、自慢したいぐらいです。この読み直しを経て、フェノロジーカレンダーの細かな内容の調整やデザインに活かしてくことになります。乞うご期待!

PTLの第4回は5月31日。カレンダーのたたき台をひとまず完成させ、実際に伊万里に暮らす方々、働く方々に聞いてみたい内容を具体的に考えていきます。

 

伊万里市にうかがってきました②(プロジェクトキックオフ!)

伊万里市にうかがってきました②(プロジェクトキックオフ!)

Posted by on 5月 8, 2016 in プロジェクト

伊万里市のプロジェクトを本格的に開始するにあたって、総合研究博物館の三島先生と学生さん有志とで伊万里市に伺ってきました。

早く到着したので大川内山にて見学後、「とき里」にて伊万里牛が乗ったおうどんやお蕎麦を堪能し(オススメです! 先日はマグロ丼を頼みましたが、それもまた美味。)、伊万里市民図書館にて打ち合わせ。

この図書館、非常に先進的な取り組みを行っていることで有名なようです。教育学部門でご一緒させていただいている岡先生にお話しを伺ったところ、市民参画で、市民が気軽に読書したり、仲間とおしゃべりしたり、将棋などの趣味を楽しんだり、伊万里のことを学んだりできるように計画されたそうです(だから伊万里「市」図書館ではなく、伊万里「市民」図書館とのこと)。本棚は低くなっていて、外の光がたくさん入り、司書さんはとっても親切。郷土資料を探索しに、先日訪れた際にも温かくご対応いただきました。※この図書館については、『つながる図書館 コミュニティの核をめざす試み』(ちくま新書)に、武雄市の図書館とともにレポートされているようです。

その後、伊万里市役所で窓口となっていただいている文化財のご担当者の方と合流し、伊萬里まちなか一番館へ。この日のメインイベントであるプレゼン会です。

伊万里では、今、様々なまちづくりの取り組みが生まれています。一つは空き店舗のリノベーション。「東京R不動産」の馬場正尊さん(伊万里ご出身とのこと!)と一緒に、勉強会を開催しているとのこと。もう一つは「夢を叶える未来塾」という若者の人材育成の取り組みです。若者が福岡や関西に流出してしまう現状がある中、伊万里で何かしてみたい!と思う人を応援する全5回のレクチャーが今年度は開催されます。既に、定員近い応募があるとのこと。

プレゼン会は、そういった活動に携わっている伊万里市役所の方々と、NPO法人まちづくり伊萬里の方々と、これまでに取り組んできたことや、これから取り組みたいと思っていることを共有する会です。九大チームも企画を提案し、協力をお願いしました。

プレゼン会の中では、伊万里の地域資源の発掘や活用を検討する上で参考になる事例として、北大時代に石黒先生がTime out社や札幌市などと取り組んでおられた行動誘発型パンフレットを作成した取り組みや、真板先生と一緒に美瑛町で作成しているフェノロジーカレンダーについて紹介しました。でもゴールは、これらの取り組みを真似してパンフレットを作ることでもカレンダーを作ることではありません。伊万里ならではのユニークさや、伊万里で出会える人や物、体験できることを丁寧に見つけ出し、共有すること。そして、一緒に面白がって地域で活動する仲間を見つけること。伊万里のオリジナルの活動として展開できればと思っています。

プロジェクトは今始まったばかり。これから伊万里でいろいろな人と繋がり、面白い物やことと出会うことができるのが楽しみです。

古市憲寿、トゥーッカ・トイボネン『国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度でも再生できた理由』

古市憲寿、トゥーッカ・トイボネン『国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度でも再生できた理由』

Posted by on 4月 18, 2016 in

森と湖、ムーミン、マリメッコやアラビア、イッタラなどのデザインブランドで有名なフィンランド。厚い福祉や教育のシステムを持つ国としても、話題にのぼるフィンランド。映画「かもめ食堂」の舞台として知った人も多いかもしれません。

そういったフィンランドの教育や若者や起業について、フィンランド国内の研究者の11の論文がまとめられています。

人それぞれに、色々と感じるところが違うのだと思いますが、「一見、裕福そうに見えたり、先進的な政策を展開しているように見えるフィンランドも、色々苦労してるのね・・・」という、光が当たるところもあれば影になるところもあるのね、というのが感想。

もっとも興味深かったのは、「創造性」「イノベーション」にかんする論文。フィンランドでは起業が盛んになりつつあり、日本でもこういった言葉が新聞や本屋、まちづくりの現場で盛んに見られるようになっています。私も、「観光学」ならぬ「観光創造学」を打ち立てた研究センターに所属しておりましたが、「創造」って「イノベーション」って何なのか?ということはちゃんと考えたことがない。なんとなく、先行き不透明な社会に対して、誰からも批判されない印籠として、このような言葉を使っているところもある気がします。よくわからないけれども、かっこいいイメージを持っていたりします。

それに対して論文11では、もはやイノベーションは信仰であり、「国の競争力保持と経済成長を人的能力・スキルに委ねよう」という物語(シナリオ)の渦中に私たちはいる、という、俯瞰的に客観視する視点を提供しています。日本も一億総活躍社会を目指しており、国の思惑によりこの物語が紡がれている。でも、この論文は、皆が活躍するという超ポジティブな状態は、同時に皆が否応なく競争に晒される状態であることも指摘。結構痛快。

また論文9では、創造という概念がフィンランドにおいてどのように位置付けられるものなのかを紐解くとともに、創造とは本来、過去の否定から生まれる側面があることを踏まえた上で、フィンランドが「歴史(過去)」と「創造」とにいかに付き合っていくべきなのか?(創造は本当に必要なのか?)問題提起しています。

きっと、今の世の中、創造もイノベーションも必要なのに違いはないと思います。でも耳障りの良い言葉を振りかざしたり、やたら扇動したりするのではなく、論調にあまり流されずに、変わるべき部分とともに変わるべきでない部分も見極めることが大事なのかなと思います。あと、これは個人の意見として、特定の人が声高に叫ぶような概念ではなくて、もっと当たり前で小さな「工夫」という活動の延長にあるべきものなのではないかと。

あと、それぞれの論文の注釈が、古市氏のツッコミになっていることが、個人的にはツボでした。

平戸にうかがってきました

平戸にうかがってきました

Posted by on 3月 27, 2016 in 出張

11月の五島(福江島、奈留島)に引き続き、今回は長崎県平戸市の春日(かすが)、生月島(いきつきしま)、根獅子(ねしこ)にうかがってきました。北海道大学観光学高等研究センターの真板昭夫先生に同行させていただき、「平戸島の文化的景観」の重要文化的景観への選定や世界遺産登録、地域づくりに取り組んでおられる平戸市文化観光部の植野さんのご案内という非常に贅沢なものでした。

福岡(空港)から平戸市中心部までは2時間強。そこから更に30分ほどの春日集落へ。

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ちょうど、太陽が山の向こう(その先は海なのですが)に沈む時間帯にうかがうことができ、この絶景。

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石積大好き人間にはたまらないこの狂いない棚田の法面。ちょうど水が張られていて、本当に清々しい。
ちなみに、

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このこんもりとしたのは、丸尾山。キリシタンの墓地が発掘され、その時代には十字架が立てられていたのではないかということ。地元の方からは「丸尾さま」と呼ばれている場所です。この丸尾山からは海を望むことができ、信仰の空間として、春日集落の中で象徴的な場所となっているようです。

春日集落は、まさに幕府の禁教政策から隠れながら、キリスト教を信仰していた集落。教会のような施設はなく、一見、日本全国にある棚田の景勝地のように見えます。でも、後で訪れた生月島の「島の館」の方から熱く説明していただいたのは、この棚田は、ここに暮らし、信仰心を密やかに貫き続けるための基盤だったということ。

こういうことは、どう来訪者に伝えていくのが良いのでしょうか? こういう歴史的な事実が存在していたという事を「知る」のは簡単ですが、明確な信仰心を持たず、隠れて活動しなければならない環境にもいない私を含む人たちに、少しでも「感じて」もらうためには。美しい景色に感動するということだけでもいいかもしれませんし、隠れキリシタンの文化に感動せよ!ということを押し付けるわけでもなく、でも、そこに暮らした(ている)人と自分とがつながれれば(ほんのちょっとでいいから!)。美瑛町でも、同じことを考えている気がします(笑)

翌日は、根獅子集落へ。独自の地域づくり活動が行なわれているということでお邪魔しました。海を望める高台の集会施設で、今日はお祭りがあるとのこと。

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集会施設の隣に、ねしこ交流庵という建物があるのですが、根獅子に惚れ込んだ複数の大学の先生が自腹で建てた建物とのこと(驚愕!)。私たちもちょっとだけお邪魔したのですが、続々集まる子供達も興味深々で建物の中を探検してました。

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惚れ込む理由がわかる眺望。写真がへたくそですが、今すぐ縁側で仲間とビールが飲みたくなる、気持ちよさ。

午前中伺ったのですが、あれよあれよという間に老若男女が集い、祭りの準備。みんな自然体で楽しそうなのが印象的でした。かねてから、そこに暮らしている人がプチ自慢をしてくれるコトやモノに、最も感動を覚えてきた私ですが、ここでも自慢の品々のオンパレード。こんなお酒を実は作ってて…とか、この猟師さんのイノシシの肉は絶品…とか、桜餅食べてみる?…とか。中でも印象的だったのは、「根獅子觸民約書」。まだ全文に目を通せていないのですが、昭和4年に根獅子集落の取り決めを独自にまとめたものです。根獅子集落の地域づくりは、いまいま始ったものではなく、約書のように脈々と受け継がれてきたものなのかもしれません。

 

 

 

伊万里市にうかがってきました

伊万里市にうかがってきました

Posted by on 2月 24, 2016 in 出張

佐賀県伊万里市。焼き物で有名なまちにうかがってきました。今回うかがうことになったきっかけは、九州大学芸術工学専攻とユーザー感性学専攻の二人の先生方のお誘いをいただいたことでした。異なるご専門の先生方とご一緒させて頂くのは楽しいですし、勉強になります。

伊万里は行ったことがなかったのですが、箱崎から車で1時間30分強です。近い。佐賀県の文化財課の方と共に、伊万里市教育委員会の方にご案内いただきました。

今回の目的の一つが、この前田家。

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登録文化財になっている旧庄屋さんのお宅です。茅葺・くど造り(一見、L字型に見えますが、非常に複雑な屋根の構造となってるのです)のこの地域の最大級の家屋となります。

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今は水が引き込まれていませんが、池泉式の庭園も広がっています。写真は、ストーンサークルのような庭の一部。おそらく円状に水が巡っていたのでしょう。とても大きな椿の木もあり、季節の良い時に再び訪れたい空間でした。

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裏には畑の空間も広がっています。ここで採れた野菜が食卓に上っていたのでしょうか。畑の背景に見えるのは土蔵です。茅葺屋根の主屋に土蔵が幾つか接続しています。江戸後期から明治後期まで発展し、今の形になったのです。

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これは水車小屋の壁です。このように貫が壁に縄で括りつけられている構造が珍しいのではないかということでした。私も初めて見ました。伊万里の家屋ではこのような構造が見られるものが複数棟あるそうです。

内部も見せていただきましたが、現在も管理が行き届いており、大切にされてきた建物であることがわかります。襖や障子などの建具も古いものが残されている他、欄間などもダイナミックなデザイン。加えて、焼きものなどの調度品や生活用品が数千単位で家屋と一緒に受け継がれているのです。

問題となっているのはこの家屋の活用です。維持管理にはお金がかかります。屋根や軸部の修理が必要な時もこれから出てくるでしょう。どのような活用をすれば、この家屋を後世に継承していけるのか。重要な課題です。

伊万里駅周辺を歩いてみると、正直、伊万里津として栄えた当時の姿を残しているという印象はありません。でも丹念に歩いていくと、そういった歴史を残す家屋を見つけることができます。看板建築の裏側は、土蔵造りのままだったりすることも。

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これは白壁土蔵の建物が4軒連なっている場所(実は土蔵風に修景されたものが一棟ありますが)。この通りは、焼き物問屋が建ち並んでいました。手前から2軒目は、陶器商家資料館として活用されている「丸駒」。

今回教えていただいた知識ですが、伊万里でつくられた焼き物は、小石原焼や小鹿田焼などの生活用の器ではなく、将軍家に献上されていたものでした。実は、もともと伊万里では焼き物をつくっておらず、伊万里津と言われ、有田焼や波佐見焼の積み出し港として栄えていました。つまり、伊万里津から来た作品だから伊万里焼と言われているけれども、それは有田焼や波佐見焼だったのです。この当時のものを「古伊万里」として伊万里焼とは区別しています。

その後、技術やデザインが盗用されることを恐れ、伊万里市内の管理のしやすい谷地に鍋島藩御用窯が移されます。それが大川内山(おおかわちやま)です。そこで将軍家に納めるためにつくられていたものが「伊万里焼」だったかというと、それも違って、それらは「鍋島焼」と言われていました。複雑・・・。伊万里焼と言われ始めたのは、廃藩置県後に民営化されてからなのだそうです。

現在の伊万里焼も鍋島焼と言われた時代の技法を受け継いだものなので、非常に高価。今回、伊万里焼が販売されているお店にはいかなかったのでいくらぐらいのものかわかりませんが、伊万里に住んでいた方はどんな器を生活の中で使っていたかというと、波佐見焼などだったそうです。

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これは丸駒で展示されているのですが、積み出しの際に、割れないように磁器を包んだものです。品物に合わせてこのように美しく梱包する専門の職人がいたとのこと。こういった、焼き物の周辺の技術や生活文化のようなもの、もっと掘り起こしていきたいところです。

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このように、いまも伊万里焼を卸しているお店が残っていたりもします。

最後に、この写真。DSC_0064

ディープな伊万里を!ということでご案内いただいたのですが、スナックやパブなどが立ち並ぶ通りの写真です。どの地域でも、飲み屋さんはありますが、かなりの密度・エリアで広がっています。お話を聞くと、有田などの市外からも飲みに来られるそうです。残念ながら、先ほどの白壁土蔵が立ち並ぶ商店街エリアは、シャッターが閉まったままのお店が非常に多く、少し寂しい雰囲気なのですが、一本道を入ると夜の盛り場が広がっている…まだ日が昇っていたので、閉まっているお店が多かったですが、是非夜歩いてみたい路地がたくさんでした。

今、若手を中心としたリノベーションなどの取り組みが始まっているというお話もうかがうことができ、今回お誘いいただいた先生方とともに、前田家の活用を核としながら、伊万里のまちの面白さを引き出せるようなことに少し携わっていけたらなと思う次第です。

 

地域文化デザイン論(九大)の最終発表会を行いました。

地域文化デザイン論(九大)の最終発表会を行いました。

Posted by on 1月 28, 2016 in 授業

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九州大学に着任してはじめての授業「地域文化デザイン論」の最終発表会を1月28日の午前中に開催しました。この授業では、簡単に言うと、地域の文化が持つ面白さや可能性に気づき、それらを保存・継承したり、観光などのまちづくりに活かすことについて学びます。

写真は、履修者が毎回の授業(今期は隔週の2コマ続き)で出してくれたミニレポート。授業の方法や内容にかんする厳しい指摘もありますが(汗)、毎回たくさんの質問や感想を書いてくれます。これを受けて、説明が不足している部分について、次回の授業で補足し、わからなかったり納得いかなかったりする部分を減らすようにしています。

できれば、最終発表会の写真をアップしたかったのですが、集中するあまり写真撮影を忘れました。テーマは「私の世界遺産」。世界遺産に登録されていない、自分の身の回りの魅力的な資源について、世界遺産申請書のフォーマットに基づき発表してもらうものです。私の恩師が行っている課題を参考にしたものですが、自分が好きなもの、魅力的に感じるものを客観的に説明する訓練になり、また、より深くその資源について知る・考えるきっかけにもなり、非常に面白いのです。

履修生が取り上げてくれたテーマは様々で、媽祖信仰(中国発祥の航海や漁業の守護神)、熱乾麺(中国武漢のローカルフード)、博多祇園山笠、宝塚歌劇団、招き猫文化、八大関(中国青島の別荘地)、九大キャンパス、本渓水洞(中国遼寧省の鍾乳洞)などなど。

取り組んでみると、真正性や完全性にかんする記述が非常に難しいこと(きっと本当の世界遺産登録でも同じなんでしょうね)、また、普遍的価値を皆を納得させられるよう戦略的に説明することが重要であることがわかります。事前に1回、30分〜1時間の個別指導をしましたが、なかなか伝えきれず。来年度の反省点となりました。

どこまで授業の内容を理解してもらったかは、学生さんそれぞれだと思いますが、多種多様の面白いものやことが世界中にあり、様々な可能性があることを感じてもらえたのではないでしょうか。私もかなり楽しませていただきました。

美瑛町をフィールドにフェノロジーカレンダーを作っています

美瑛町をフィールドにフェノロジーカレンダーを作っています

Posted by on 1月 25, 2016 in プロジェクト, 授業

美瑛町というと、皆さん何を思い浮かべるでしょうか? 波のようにうねる丘の連なりでしょうか? それとも農地の中に立つ樹木でしょうか? はたまた最近美瑛を知った方は、「青い池」と答えるかもしれませんね。

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ちなみにこの写真は、美味しいソフトクリームが味わえる美瑛ファームの風景です。

現在美瑛町では、今後の観光のあり方について構想する計画を策定するために、観光にかかわる様々な調査を行っています。その一つがフェノロジーカレンダーの作成です。

フェノロジーカレンダーとは、北海道大学観光学高等研究センターの真板昭夫先生の指導のもと、全国様々な場所で作成されている季節暦のことです。カレンダーというと1ヶ月毎にめくるものを想像される方も多いかもしれませんが、このカレンダーは1月から12月までを一つの表で表し、その中に、植物や動物、風景、祭礼行事やイベントなどがどの時期に見られるものなのか、野菜などの生産物の場合はどの時期が旬なのかがわかるように示したものなのです。

真板先生の授業は非常に実践的で、履修している学生さんとともに、このカレンダー作成に取り組んでいます。

作成の過程では、もちろん掲載する資源について知らなければならないので、美瑛町のことが記述されている様々な文献を読んだり、行政の職員の方々、美瑛町で農業を営んでいる人、美瑛で採れた食材で美味しい料理をつくる奥様方などから直接お話をうかがったりします。そんなこんなで2年がかりで調査をしてきましたが、ようやく編集作業に。

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カレンダー内でどんなイラストや写真を掲載するか、パンフレット全体の構成などを考えています。

実際に、この授業の中では履修生一人一人が、聞き取りをエピソードとしてまとめる作業も行なっています。最初は文章もたどたどしかったのが、聞き取りを進めることで自分の中での美瑛像が具体的になるからか、魅力的な表現がたくさん出てくるように。これには私もたまげました。

編集作業でもたくさんのアイデアが出てきます。フェノロジーカレンダーのいいところは、みんなが参加できるということ。基本的に、自然の移り変わりと人々の暮らしとの関係性を表現するものなので、誰しもが関心を持つことができるのです。きっと、これから関係部局の方々に意見をもらっていく中で、より面白いカレンダーになっていくことでしょう。

最初に、いくつかの知名度の高い美瑛町のイメージを挙げましたが、これは極々一部であり、美瑛町には語るべきものがたくさんあることがカレンダーを通じて共有されるといいなと思います。

 

 

 

 

「まち」にとっての「ミュージアム」

「まち」にとっての「ミュージアム」

Posted by on 1月 15, 2016 in 出張

京都文化博物館で行われたシンポジウムにて、お話をさせて頂く機会がありました。ミュージアムがテーマであり、学芸員としての経歴や、そういった文化施設で働いた経験もないため、実践的な話をすることができなかったのですが、地域にとってミュージアムに期待することが何か、改めて考えるきっかけになりました。

このシンポジウムを前に、今年度3回、京都文化博物館と、博物館が立地する「三条」と「姉小路」という2つの地域に伺わせていただきました。京都文化博物館が地域のまちづくり団体と協働し、地域の文化資源の発掘(発掘と言っても土の中に埋もれているものではなく、生活やその空間の中で埋もれているものにスポットライトを当てる作業)を行うためです。この取り組みに、文化資源の保存活用が専門の北海道大学の村上佳代先生と参画しました。

京都というまちを訪れた人は多いかと思います。私が初めて訪れたのは中学校の修学旅行でした。その時訪れたところと言えば、清水寺、産寧坂、金閣寺、銀閣寺、南禅寺、下鴨神社、三十三間堂、嵐山…
私のような旅行をした人は多いのではないでしょうか? そこでは同級生や引率の先生以外、ホテルや店舗の従業員と少し話すくらいで誰とも話すことはありませんでした。

今回訪れた二つの地域は、人が実際にお商売をしていたり、住んでいたりする場所。今回の取り組みに参加する中でまず感じたのは、上記の観光スポットとなっている寺社などの他にも、日常の暮らしの中にたくさんの歴史が刻まれた場所が存在していること。まさに京都という場所で、私たちがその歴史や文化に触れられるのは、そこに住み、それらを誇りに思い、実際に大切にしているたくさんの人がいるから。想像力を働かせればあたりまえの話。でも、そのあたりまえが見えなくなるのが、観光というものの一つの傾向かもしれません。

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三条通りにはこのような近代建築が多く残されています。三条通りは三条大路というかつてのメインストリートだったため、銀行や保険会社、新聞社が洋風の重厚な建築で立地していたのです。現在は商店が多く、実はこの建物、とってもオシャレなアパレルショップが入っています。

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この通りには、Paul Smithが入っている歴史的な町家も。

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こちらは、姉小路にある「八百三」さん。創業1708年(驚きですが、京都では通常なのでしょうか・・・)の柚味噌を販売しているお店です。。また、「柚味噌」と描かれている看板はかの有名な北大路魯山人の作品(今はレプリカが掲げられており、本物は店内で大切に保管されています)。

どちらの通りも、まちづくり活動に熱心です。

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こちらは三条の取り組みである「まちかどミュージアム」。このお店の歴史や、かつての姿が古写真も用いながら解説されたボードが展示されています。

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こちらはぶれちゃっていますが、「姉小路界隈町式目 平成版」。かつてコミュニティのルールとして定められていた町式目を応用し、町並みを守るためのルールを現代版町式目として掲載しています。

地域の方にお話を伺ってみてわかったことはたくさんあります。老舗と言われるお店や、代々住んでいるお宅の建物だけでなく、その中にたくさんのお宝が眠っていること。それらのお宝は、今もなお大切にされ、楽しまれていること。暮らし方の中に、京都で生きることのプライドや価値観、教養が息づいていること。要は、人の営みや思いに触れられたことが、私の中で最も印象的でした。

とある旅館では、それらのお宝が室内にセンス良く飾られ、宿泊客の目を楽しませており、とあるお宅では、お祭りの時に掲げる提灯がいつでも使えるように大切にしまわれている。月ごとに飾っているお花や掛け軸、絵を変えて季節感を取り入れる。そう言ったことが、自分自信の暮らしぶりと比べられて感動する。

きっとみんながみんな、そういうことに感動するのではないと思うのですが、そこに暮らす人々に焦点をあてることが、一つの魅力になるのではないでしょうか? そうした時に博物館はどんな役割を担うことができるのか、どんな可能性があるのか。

今回のシンポジウムでは全くうまく話すことができなかったのですが、引き続き、考えていきたいテーマです。

 

ベネディクト・アンダーソン著・加藤剛訳 『ヤシガラ椀の外へ』

ベネディクト・アンダーソン著・加藤剛訳 『ヤシガラ椀の外へ』

Posted by on 1月 2, 2016 in

アメリカの政治学者(だが、中国生まれのアイルランド人)であり、東南アジアの地域研究がご専門のベネディクト・アンダーソン。惜しくも昨年12月、インドネシアのジャワ島にて享年79歳で亡くなりました。たまたま前職の飲み会の席で紹介してもらって読み始めた本であり、お恥ずかしながらそれまで著者のことを知らなかったのですが、今まさに読むべくして読んだ本でした。びっくり。

「研究」を本質的に理解するためには、その研究をおこなった人の生い立ちや、過ごした時代や、出会った人や、出会った地域(そしてその地域の歴史、文化、政治的な動き等々)についての理解が欠かすことができない。そのぐらい研究とは、様々な背景を背負ったものであるし、冒険的に新しい価値観を提供するもの。普段、自分が行っている研究が、いかに「その場の事実切り取り型」か…ということを反省。これまでだったら、分野が異なるから…と言い訳をしてきたかもしれませんが、私がぶつかっている壁は、まさにこのことへの思慮のなさだったのだなと確信。

また、大学教育のあり方が問われる時代。九大に着任してから様々な会議に出させてもらうことも多くなりましたが、大学のミッションって何なのか?、教員ってどう行動するべきなのか?、今存続を脅かされている人文社会系の学問とは何なのか?、一方で自然科学系の学問はこのままでいいのか?、そもそもディシプリンって何なのか?、学際的研究が推奨されるのはなぜなのか?、大学の人事ってどんな仕組みなのか?、少子化や外国人の留学生の増加をどのように捉えていけばよいのか?……取り上げるとキリがない多くの「?」にぶち当たっていました。それを考える上での糸口がたくさんこの本には書かれています。しかも、これまでの歴史も含めて極めてわかりやすく、そしてこれからのヒントもたっぷりに。

そして、研究とは、人々(家族、友人、研究仲間、師などなど)、場所(出身地、育った国、大学、研究フィールドなどなど)、機会(時代背景、政治や政策、チャンスなどなど)の出会いによって成り立っており、それらと出会った幸運に感謝しなければならない。これにかんしては、私も同感。でも年齢を重ねる中で、これからもそう思い続けていられるのか。そういった出会いを楽しんでいけるのか……

ヤシガラ椀の外へ出られるかはきっと個人次第だけれども(私含む)、外を意識することには確実になる、オススメの本。

 

 

特別演習(北大非常勤)の発表会 @美瑛町

特別演習(北大非常勤)の発表会 @美瑛町

Posted by on 12月 15, 2015 in 授業

4月の宿泊研修にはじまり、座学の授業に加えて、2泊3日の現地フィールドワークを2回、提案作成のための複数回の個別指導を経て、12月10日に美瑛町役場での発表会。10月から福岡に移ってしまったこともあって充分ではないところもありましたが、なんとか完了することができました。

このボリュームで、しかも通年なので、最後まで学生さんがついてきてくれるのかヒヤヒヤでしたが、頑張ってくれました。2回フィールドワークを行ったとしても、そこで知ることができるのは、やはり地域の一部でしかないし、限られた時間での提案作成。でも、一人一人が美瑛のことに親身になって、自分なりに現実にぶつかっていったのではないかと思います。

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発表会には、町長、副町長をはじめとし、関係部局の方々がたくさん参加していただき、厳しくも温かくコメントしてくださいました。現状と違っていると考えれば「それは違う」、そう意見を言ってくださるということは、本当に真剣に一つの提案として聞いてくださった証。そこからがはじまりなんだよな…と自分の経験も振り返りつつ、改めて考えさせられました。そして、ぜひプロジェクトに関わって欲しい、別途話を聞かせて欲しい…というようなオファーを受ける学生さんも。

でも、私の中で特別演習に携わっていて何よりも嬉しかったのは、フィールドワークが面白かった!と言ってくれたこと、フィールドワーク以外に個別に美瑛に調査にいった学生さんが、本当に美瑛を好きになってくれたこと。美瑛がそれぞれの特別な場所になったらいいな、と思います。

個別指導やフィールドワークを一緒に行ってくださった先生方、発表会に弾丸ツアーで来ていただき講評をしてくださった先生方、お疲れ様でした。

そして何より、美瑛町の方々の懐の深さに感謝です。