石垣島&竹富島
と書くと、まるでバカンスに出かけているようですが、プロジェクトです。今年度より、竹富町からの受託研究で、竹富島の景観マネジメントの研究に取り組むこととなりました。今回は3回目の打ち合わせと資料収集。
竹富島に最初にうかがったのは、もう10年以上前のこと。時が経つのは早い。学部4年生の時に、仲の良かった同級生と先輩が在籍していた研究室のゼミ旅行に、違う研究室であったにもかかわらず(笑)参加したのがきっかけでした。夏休みの暑い季節。伝統家屋を一棟お借りして、合宿スタイルで滞在をし、地元NPOに勤めていらっしゃった先輩の仕事のお手伝い(私は古い瓦を叩いて、使えるものと使えないものとに分別する作業や、御嶽のお掃除を担当)をしたことを覚えています。
そして、夜、その研究室の先生が、地元主催の勉強会でプレゼンテーションをしたのを見て、急遽、修士からの所属研究室を変更したのが、経過的に今の私の原点となりました。なので、竹富島に行かなかったら、全く違う人生を歩んでいたと思います。ゼミ旅行に誘ってくれた先輩に感謝するとともに、参加した自分の図々しさを褒めてあげたい。だって、そうでなかったら、白川村にも決して関わることがなかったから。そう思うとゾッとします・・・。というわけで、竹富島のことを主体的に研究する機会を得られたのは、私にとって特別なことです。
個人の考えですが、研究者として地域に貢献できることなんて、本当に限られている。私ができることと、地元の方から教えてもらうことを比べたら、圧倒的に後者の方が多いことばかり。もちろん、歴史や、祭りなどの伝統について教わることも多いのですが、最も印象的なのは、それらを自分の人生や地域の中に、どう位置付けているのかということ。それは、「文化財保存」や「文化遺産の保護」という言葉では決して表現できない、迫力と、生々しさと、説得力がある。理論ではなくて、島の中で暮らすことの酸いも甘いもひっくるめた経験の中からの言葉で、絶対、金銭的な価値には置き換えられないし、自分の世代だけの話ではなく、先祖から将来世代まで、長いスパンを見据えたもの。うまく表現できませんが(というか表現できたところで意味はない?)、そういった人や思いに触れられることが、最も研究のモチベーションになっている気がします。
さてさて、これからが本番です。
中川理 『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』
昨年度は着任時期が中途半端だったこともあり出来ませんでしたが、今年度からはゼミを行うようになりました。1つは研究・論文指導のためのゼミ。同じユーザー感性学専攻の感性コミュニケーションコースの三島美佐子先生の研究室と合同ゼミという形で開催しています。もう一つは文献講読ゼミ。私の学生時代も研究室で行われていて、その時は長峰晴夫先生の『第 3 世界の地域開発』(名古屋大学出版会 1985年)でした。その当時は、実践の経験もなくちんぷんかんぷん(本当に!)でしたが、改めて白川村で働いていた時に読んだ時には、涙ものの名著でした。
思い出話はさておき、今年の前期は中川理先生の『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』(共立出版 2008年)を読んでいます。学生さんが1名のため、私も参加して、交互に1章ずつ担当し、概要を説明し、感想や疑問を共有しながら議論をするというものです。
私も、風景や景観を対象に研究してきた・いるわけですが、風景や景観は様々な学問分野で取り上げられ、理論構築や実践が積み重ねられてきました。そして、それらの概念の出現や取り上げられ方は、歴史の動き(政治、社会、産業、生活等々の変化)と密接に関わっています。その大きな流れが、この本では整理されています。
私はどちらかというと、現場で学び、実践することを繰り返してきたわけですが、自分がどの流れに属していて、自分と違う景観の取り扱い方もあるのだということに自覚的になることが大事だと思ったので、この本を選びました。(もちろん、学生さんの興味とも擦り合わせてのことですが。)以前、ベネディクト・アンダーソンの本を読んだ感想の投稿で、「自分が行っている研究が、いかに『その場の事実切り取り型』か…ということを反省。」ということを書きましたが、せめてそうならないよう努力はしよう!ということで。
この本をひとまずの基準点に起きつつ、自分の経験や考えを整理しています。共感するところもあれば、「それだけじゃない!」と強く思う部分もありますが、後者の部分を整理して、論文としてアウトプットしなければならないということなのでしょう(焦)。
まだ中盤で、読み切るまでには数回ありますが、次は何を読もう・・・その時には観光について学びたい学生さんが少し増えている予定なので、観光の基礎的な文献を講読したいなと思っています。