都会と田舎についての私考

都会と田舎についての私考

Posted by on 7月 4, 2017 in 未分類

最近の幾つかの出来事が重なって、都会とは? 田舎とは? その二者の関係性とは? ということをよく考えます。

自分が現在暮らしている場所は福岡市。NHKのとある番組で、東京とそれ以外の地域との2極化が進む現状に対して、福岡市は第3極になり得るのか!?といったテーマで移住や起業促進が語られたりしましたが、紛れもなく都会の方。人口は約156万人(2017年6月1日推計)。福岡空港から中心地までのアクセスが良いこと、都市がコンパクトで簡単に自然にも触れられること、食べ物が美味しく安いことに加え、企業誘致や起業に力を入れた政策などが理由となり、政令指定都市の中で最も人口が増加しています。
その前の何年かは札幌市で暮らしていました。札幌市は196万人(2017年6月1日推計)の都市。福岡市よりも大きな都市です(面積もかなり広いため、人口密度としては福岡市が高い)。札幌駅には駅に接続する形でデパートやファッションビル、家電量販店が連なり、大通りエリアにはオフィスビルが立ち並び、ススキノなどの繁華街が広がります。こちらも都会。

その前の数年間は、岐阜県白川村に住んでいました。白川村は1,668人(2016年10月1日)の村。総務省調査によると、村は日本に183ある(大正11年には10,982あり、昭和や平成の大合併を経て激減)のですが、ウィキ情報(2017年)によると、下から数えて59番目の人口規模です。大部分は急傾斜の山林であり、庄川が南北方向に貫流し、わずかな河岸段丘上に集落が点在している、紛れもなく田舎です。

消滅可能性自治体の議論もありましたが、今や、人口減少に歯止めがかからない自治体は戦々恐々としながら、地方創生の財源を生かして地域活性化策を講じたり、移住定住のためのPRに力を入れている状況です。もちろん、人口減少は各地域にとって切実で、税収云々の前に、小学校がどんどん統廃合し自地域から子供がいなくなる、活動が人手不足・負担増で継続することが難しくなっていくといったことが起こっており、かなり状況は厳しい。白川村でも、平瀬地区から小学校がなくなり、30年にわたって開催されてきた冬の合掌造りのライトアップ事業の継続が難しくなっています。村を離れる決意をした家族がいて・・・という話を聞くと増田レポートが指摘した通り「待ったなし」である状況は現実で、各自治体がなんとかこの状況を打破したいと思うのは当たり前の話だと思います。

でも、この問題に本気で取り組むためには、都会とは何か? 田舎とは何か? この両者の関係性について考えなおさなければならないような気がしてなりません。

ちなみに都会とは、都市的な環境と言う意味で使っています。また、田舎は、都会から離れており都市的な環境ではない場所という意味で使っています。

まずは、都会と田舎との関係性について。
お互いを比較して、
・都会は「優れていて」/田舎は「遅れている」
・都会には「なんでもあって」/田舎には「何にもない」
・都会は「かっこよくて」/田舎は「ダサい」
・都会は「楽しくて」/田舎は「つまらない」
・都会は「自由で」「多様で」/田舎は「閉鎖的」
といったストーリーで両者が語られる場面が多く見られます。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48156
この記事で、立教大学の貞包先生が指摘されていますが、とにかく田舎は、様々なストーリーでメディアに取り上げられ、消費されてきた歴史があります。
筑波大学の黒田先生が、白川村が外部からどのように見られてきたかを著書(『世界遺産 白川郷 視線の先にあるもの』)で書かれていますが、好奇なイメージ、悲しいイメージ、故郷のイメージなど、時代背景や、外(都市)のニーズに合わせて、イメージが付与されてきた様子がわかります。

つまり、私たちが田舎に感じているイメージは、都会側から見や都合の良い解釈で付与されている可能性があります。そういったイメージにより、都会に暮らす人が、田舎に過剰な期待を寄せたり、田舎に暮らす人が過剰な劣等感を抱えるのではなく、もう少し掘り下げて理解するべきではと思うのです。

例えば、田舎は「閉鎖的」であるという話。
田舎の大前提のように持ち出される言葉です。
地方(田舎)が閉鎖的であるということの要因を探ると、

・その地域の価値観を強要される
・プライバシーがない
・いつまでもよそ者扱い
・出る杭は打たれる など

が挙げられます。
「田舎」「閉鎖的」でインターネット検索をかけると、田舎を批判する立場・擁護する立場のドロドロの言い争いがいっぱい出てきますが、都会から見た時の田舎の異常性を「閉鎖的」という言葉で表現している事がわかります。

ここからは、私が両方の地域に実際に住んでいて考えることです。
「閉鎖的」と言われる背景には、都会と田舎では、地域の維持管理システムとその中での個人の取り扱い方が異なることがあるのではないでしょうか。
田舎では、同地域に暮らす個人が「誰であるか(いかなる人であるか)」という情報が非常に重視される場合が多く、都会では重視されない場合が多いということです。

例えば結婚相手は、誰しもどんな人であるか見極めようと、年齢・学歴・職業・家族友人関係といった属性や経歴、価値観や考え方などの内面まで考慮に入るのではないでしょうか。なぜならば、長い年月共同生活をし、簡単に離れることができない(離婚は可能だけれども労力がかかる)利害関係者になるから。こう言ってしまうと身も蓋もないですが、綺麗ごとではかたづけれられない問題なのだと思います。

一方で、SNSの友人を、そこまで見極める人はいないのではないでしょうか。共通の知人がいたり、共通の趣味を持っていれば、たとえ会ったことがない人も簡単につながることができ、特定のルールを守れば、匿名でも構わない場合も多い。自由度が高く、開放的である一方で、SNSサービスからの退会も特定の相手のブロックも自由です。

どっちが良いという話ではなくて、田舎に暮らすということは、どちらかというと結婚というシステムに、都会に暮らすということは、SNSに参加するというシステムに近いのではないかということです。理由として想定されるのは、単純に、田舎は都会よりも、住民間の利害関係が強いシステムで地域が成立しているからだと考えます。

例えば、田舎では、都会では通常行政が担っているサービスを、自分たちで担ってきた(いる)ことが挙げられます。
自分の水田を一枚耕すにしても、水や水路は地域の共有財産であり、共同作業(ニンソク)で清掃や管理を行う必要があります。また、水道が普及する前は、共有の水路の水や湧き水を利用して料理や洗濯を行っており、使い方には厳しいルールがありました。でもそれらは、明文化されておらず、地元住民にとっては子供の頃から体で覚えているようなものであるため、もしかすると、そのルールを知らずに使ってしまった嫁や、ニンソクに参加しなかった新人が悪口を言われることになったかもしれません。

つまり、田舎では、地域を支える「仲間(利害関係者)」となってくれるかどうか、非常に厳しい目で見極めがなされるのです。しかも、これは氷山の一角であり、祭礼行事や消防などのつながりもあります。様々な主体や活動が生態系のようにからみあい、地域が構成されているため、外から見ると「不必要」だと感じられることも、そうではない場合があります。こういったシステムの大きな違いに、見極めをする側(田舎)とされる側(都会)の人間性が加わり、様々なトラブルが発生しているように感じます。

一方で、現在私は都会に住んでいますが、状況が大きく異なります。住んでいるアパートは入居・退去などが激しく、部屋によってオーナーが異なるため、自治的な活動は皆無です。町内会費すらも徴収されないのにはびっくりしましたが、玄関から外側は、管理業者さんや行政サービスで維持されています。正直、仕事がとても忙しいと、都会のシステムの方が圧倒的に楽です。でも、家賃さえ払うことができれば、この場所に住むのが私である必要はありません。それは地域に縛られない自由なことかもしれませんが、基本、都会の住民は代替可能な個人でしかないのです。
白川村に比べ、人口も多く賑やかな札幌市に引っ越した時に感じた「寂しさ」の要因は、そこにあったのだと思います。

このような、圧倒的な地域の維持管理システムや個人の取り扱われ方の違いに触れず、危機感を煽って都会側から田舎側に地方創生を促したり、メディアで自然豊かなイメージを流布して移住の促進をしたとしてもうまくいかないような気がするのは私だけでしょうか?

都会のいいように田舎を再生する、すなわち、都会から消費される対象としての田舎(観光地はまさにこのような状況)という構造を変えられないものか・・・都会は、その人口の多さと多様性から、消費地としての強みがありますし、田舎は情報量が少なく価値観が固定されやすいかもしれませんが、個々人が多くの労力と時間をさき、地域の自治を行っている凄み・底力があります。だから都会の常識に合わせるのではなく、もっとしたたかに、強く出て良いはず。白川村や竹富島はそういう気質を持っていると思いますし、もしかすると美瑛町が美しい村連合というシステムを立ち上げた理由もそこにあるような気がします。

2017年

2017年

Posted by on 1月 13, 2017 in 未分類

九州大学に着任して、1年3か月が過ぎました。
ずっと一緒に仕事をしてきた恩師から、そして長年のフィールドだった白川村からも離れて、この3年でどうしてもやりたいと思うことあります。

それは、自分のこれまで取り組んできた研究やプロジェクトの成果をアウトプットすること。
研究として正式に取り組んできたことだけではなく、自分が白川村に住んで、美瑛町の方とコミュニケーションをとる中で感じ取った研究未満のことも大切にしたい。
また、アウトプットの方法も論文に書くということも大事だけれども、改めて客観的に俯瞰し、必要ならば軌道修正し、新たに研究を展開していきたいという思いがあります。

私の研究の領域は、簡単に言うと文化的景観の保全や観光振興なのですが、特に前者は適用できる制度が決まっていたり、文化財としての蓄積された知識が前提になることが多く、ゼロベースから考えることは少ないのが現状です。
また、チーム制でプロジェクトに取り組んでいることもあり、チームボスの考え方を理解し、みんなで力を合わせて展開するといった状況にならざるをえません。
もちろん、それぞれの地域の個性をどう読み解くか、それをどうマネジメントするのかは地域のオリジナリティが求められるわけで、研究としての価値はあるのですが、研究の本当の意義を、社会の中での位置付けをうまく説明できなかったりする。
結局それでどういうことが起こるかというと、研究のプロセスも含め、本当にそれで良かったのかどうか、自分自身が評価できない状態で不安なまま終わる。
正しかったか、正しくなかったかを知りたいというよりも、自分の立ち位置を自覚して、そこで最大限の働きかけができたかどうかの自信を持ちたい。

そういった状態を解決するため、自分が取り組んできたことがどういうことなのか、自覚したかったし、これから個人として(また新しいチームを組んで)どう研究を展開したいのか、自分の胸にちゃんと問いたかった。

そういうことを、やっぱり日々の業務に流されながらも漠然と考えていたわけですが、最近、都市計画という専門分野だけを前提にして考えていては、答えが出せないのではないか? と思うようになりました。

そのきっかけは、北海道大学の観光に関する研究会で、言語学がご専門の先生が発表された内容を聞いた時に、現場に埋没し、凝り固まっていた考え方に風穴を通してもらった、可能性を広げてもらったように感じたことが根底にあります。

また、都市史がご専門の陣内秀信先生が『イタリア都市の空間人類学』という著書で、「都市は、モノとしての形態や構造、目に見える景観だけで捉えられるものではない。人々の営み、心性、身体性、人間関係、生業、場所との結び付きや意味、記憶、聖と俗、祝祭、信仰のあり方や自然観などと深く関係している。人類学・民俗学、社会史等の領域の研究者たちとの共同研究を行った経験が、こうした考え方に導いてくれた。」と指摘されていたことも。

また、まだ積ん読状態ですが、都市計画がご専門の蓑原敬先生が、社会学がご専門の宮台真司先生と対談をしている『まちづくりの哲学 都市計画が語らなかった「場所」と「世界」』なんかも、思わず買ってしまいました。

何を言いたいかというと、これまで研究を一緒に行ってきたチームや、どっぷり浸かっていた白川村や美瑛町という地域から一旦離れる、ということだけではなく、都市計画という分野から出てみるということも必要なのではないか? ということです。
それは都市計画を専門としないということでは全くなく、都市計画の専門家として、その分野の限界と可能性を自覚し、立ち位置を改めてはっきりさせ、足りない部分を他の学問分野の先生と協働をしていくということなのではないかな?と思います。

そして、幾つかの文献を読み漁る中で、少しずつですが自分の経験や研究成果が客観的にどういうものなのか言語化できそうな感覚が湧いてきて、「これ、きちんと表現したい」という強い気持ちに変わりつつあります。

今年はこれを最優先に取り組んでいきたい。
なんだか最後は決意表明みたいになりましたが、2017年、どうぞ宜しくお願いいたします。