古市憲寿、トゥーッカ・トイボネン『国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度でも再生できた理由』
森と湖、ムーミン、マリメッコやアラビア、イッタラなどのデザインブランドで有名なフィンランド。厚い福祉や教育のシステムを持つ国としても、話題にのぼるフィンランド。映画「かもめ食堂」の舞台として知った人も多いかもしれません。
そういったフィンランドの教育や若者や起業について、フィンランド国内の研究者の11の論文がまとめられています。
人それぞれに、色々と感じるところが違うのだと思いますが、「一見、裕福そうに見えたり、先進的な政策を展開しているように見えるフィンランドも、色々苦労してるのね・・・」という、光が当たるところもあれば影になるところもあるのね、というのが感想。
もっとも興味深かったのは、「創造性」「イノベーション」にかんする論文。フィンランドでは起業が盛んになりつつあり、日本でもこういった言葉が新聞や本屋、まちづくりの現場で盛んに見られるようになっています。私も、「観光学」ならぬ「観光創造学」を打ち立てた研究センターに所属しておりましたが、「創造」って「イノベーション」って何なのか?ということはちゃんと考えたことがない。なんとなく、先行き不透明な社会に対して、誰からも批判されない印籠として、このような言葉を使っているところもある気がします。よくわからないけれども、かっこいいイメージを持っていたりします。
それに対して論文11では、もはやイノベーションは信仰であり、「国の競争力保持と経済成長を人的能力・スキルに委ねよう」という物語(シナリオ)の渦中に私たちはいる、という、俯瞰的に客観視する視点を提供しています。日本も一億総活躍社会を目指しており、国の思惑によりこの物語が紡がれている。でも、この論文は、皆が活躍するという超ポジティブな状態は、同時に皆が否応なく競争に晒される状態であることも指摘。結構痛快。
また論文9では、創造という概念がフィンランドにおいてどのように位置付けられるものなのかを紐解くとともに、創造とは本来、過去の否定から生まれる側面があることを踏まえた上で、フィンランドが「歴史(過去)」と「創造」とにいかに付き合っていくべきなのか?(創造は本当に必要なのか?)問題提起しています。
きっと、今の世の中、創造もイノベーションも必要なのに違いはないと思います。でも耳障りの良い言葉を振りかざしたり、やたら扇動したりするのではなく、論調にあまり流されずに、変わるべき部分とともに変わるべきでない部分も見極めることが大事なのかなと思います。あと、これは個人の意見として、特定の人が声高に叫ぶような概念ではなくて、もっと当たり前で小さな「工夫」という活動の延長にあるべきものなのではないかと。
あと、それぞれの論文の注釈が、古市氏のツッコミになっていることが、個人的にはツボでした。