専門家との贅沢な調査 part2
お次は美瑛へ。今回のメインは景観フォーラムへの参加でした(なんと、寒地土木研究所の松田さん提案でトークセッションのコーディネーターに・・・汗)。この景観フォーラムは、美しい村連合の総会@福岡県星野村にて、松田さんの景観に関する講演を聞いた各自治体の首長さんや担当者の方々の「ぜひ我が自治体でもお話を!」という強い要望を受けて、開催されたものです。
松田さんの講演は、熱い景観への想いと、誰でも理解しやすい論理性とで、素晴らしいものでした。よく考えたら、景観工学の専門の方の講演をちゃんと聞いたことなかったかも。どちらかというと、私は建築寄り、文化財寄りの景観なので、「心地よい景観か否か」よりも「その景観にどんな意味(歴史的・文化的)があるのか」を追い求めてきました。なので、改めて美瑛の景観そして自分の身の回りにある景観を分析する指標を与えてもらいました。景観の良し悪しは主観的な判断だと思われていますが、決してそうではなく、景観の見方を学ぶことで、かなり技術的により心地よいものにできるのです。
トークセッションは、当初75分は長い!と思っていましたが、あっという間でした。景観審議会でお世話になっていた写真家の菊池さん、景観計画を策定する際にヒアリングをさせてもらった農家の大波さん、計画策定時に担当部署の長をされていらっしゃった中山さん(現在は観光協会にお勤めです)とご一緒させていただき、これからの景観を前向きに考えるたくさんのお話をしていただきました。
思ったのは、コミュニケーションが大切だということ。このようなフォーラムなのか、もっとざっくばらんに話せるワークショップなのかわかりませんが、まずは多種多様な立場の方々が美瑛の事想っているんだよということを、お互いに知る必要があるのではないかと思いました。その上で、農家さんに気持ちよく営みを続けてもらうために何が必要なのか、新たな観光の仕組みなどを考えていけば、意外とスムーズにいく気がする(楽天的すぎますかね・・・?)。でもそれぐらい意外とこれまで、町の単位でコミュニケーションが行われていなかったのかもしれません。私も福岡から応援したいと思いますし、景観まちづくりにいち研究者として関わり続けられればと思っています。
フォーラムの前後で、寒地土木研究所の方々と美瑛町内各所を巡ることができました。
ご一緒させていただいた2日間とも、快晴で十勝岳がくっきり!(夏は珍しいとのこと)
麦の刈り取り真っ只中です。麦稈ロールもいたるところで見られました。
これはとある展望スポットの近くですが、他の場所と同様、立ち入り禁止の看板とテープが貼ってあります。ご存知の方も多いかもしれませんが、来訪者の農地への立ち入りが長年の問題となっています。私たちは来訪者のモラルやマナーの問題としがちですが、景観工学的見方をすると、入ってしまいたくなる空間になってしまっているため、人間の反応(どうしても入りたくなってしまう気持ち)を踏まえた空間整備をする必要があるとのこと。
青い池にも行きました。青い!! その青さを失わないための管理の努力についてもお話を伺うことができ、感動ひとしおでした。
北海道のすごいところは、このような天国と見紛う空間がたくさんあるということ。こう言う空間でグランピングができたら・・・という話で盛り上がりました。観光スポットにするということではなく、まだまだ楽しめる空間が美瑛には広がっているのを感じます。このエリアの近くには、こんな場所もあります。
うまく活用すれば(それには空間の管理や運営といったことが必要になるわけですが)、もっと美瑛滞在の幅が広がります。
こちらは白金エリアにある模範牧場! 牧草ロールがまるでアートのようです。この景色は知らなかった・・・
まだまだ底知れぬ美瑛の魅力。ですが、これからは、来訪者が魅力を一方的に享受する(消費する)だけではない美瑛への関わり方を、美瑛側から提案しなければなりません(残念ながら来訪者が考えるのには限界があります)。農家さんは、決して、環境や景観を作るために農業を営んでいるわけではありません。結果的に生み出されたこういった魅力を、もし、少し「おすそ分け」できるとしたら。十分な対策を能動的に検討しなければならないと、改めて考えた出張でした。
専門家との贅沢な調査 part1
8月1・2日は白川村、4〜6日は美瑛町に出張しておりました。白川村では、伝統的建造物群保存地区の環境物件・工作物候補の抽出基準の検討と審議会への出席、美瑛町では、景観フォーラムへの参加とその他もろもろの打ち合わせが目的でしたが、どちらも専門家の方々とご一緒させていただき、非常に楽しい時間でした。
白川村では京都女子大学の斎藤先生と。もう、白川村へ向かう車の中から、文化財がいかに最先端の分野なのか、最近の世界遺産登録の動向などなどレクチャーいただく。また、お宿でも、卒論・修論の指導から近代化遺産の保存・活用まで。なんて贅沢な時間! 専門家としてのブレない理念と価値判断、そして長年文化庁にて文化財指定に尽力されてきた功績は非常に大きく、私だけで聞くには本当に勿体無い。
次の日は、環境物件・工作物候補を実際に見て回りながら基準を議論。これまで一つ一つ流路・水路護岸・石積・シュウズ(湧水が出るポイント)などを追加特定しようとしていましたが、水の流れを単位とした、水利用システム(農地景観を含む)を一体として特定する方針となりました。確かに農村景観の保全を考えた際には、個々の要素が持つ履歴に着目しながらも、システムを重視した方が合理的。文化庁の見解でどうなるかまだわかりませんが、新しい特定方針と言えそうです。
調査では、水利システムの上流部、区の当番で管理をしているポイントに地元の方に連れて行ってもらったり、
樹種と植えられた意味を検討したり、
保存地区外ですが、立派な石積と景観に感動したり。
また、伝建審議会にもオブザーバー参加させていただきました。この日の審議会は、議論の前に現地視察が数件。その一つが犬走りの仕様。景観に合った、そして生活のニーズ(砂埃が立たないなど)も叶える技術を実験しているというもの。
みんな真剣に松本さんの説明に耳を傾ける。建設業の方もいらっしゃるので、強度や耐久性もチェック。慎重に1件ずつ確認し、議論し、より良い方向性へ持って行くことの積み重ねです。守る会(白川郷荻町集落の自然環境を守る会)での議論も含め、本当にこの伝統的建造物群保存地区のこの仕組みは凄い! 昭和51年に重要伝統的建造物群として選定されて以降、景観を変えるすべての行為は、守る会・教育委員会で、そして重要なものは審議会で議論されてきました。多分、総数は2,000件を超えるはず。
世界遺産の知名度以上に、こう言った取り組みの事をもっと発信していってもいいのではないかな?と思います。きっと、文化的な景観を守りたいと思っている世界中の人を勇気づけられるはず。
続く
平戸にうかがってきました
11月の五島(福江島、奈留島)に引き続き、今回は長崎県平戸市の春日(かすが)、生月島(いきつきしま)、根獅子(ねしこ)にうかがってきました。北海道大学観光学高等研究センターの真板昭夫先生に同行させていただき、「平戸島の文化的景観」の重要文化的景観への選定や世界遺産登録、地域づくりに取り組んでおられる平戸市文化観光部の植野さんのご案内という非常に贅沢なものでした。
福岡(空港)から平戸市中心部までは2時間強。そこから更に30分ほどの春日集落へ。
ちょうど、太陽が山の向こう(その先は海なのですが)に沈む時間帯にうかがうことができ、この絶景。
石積大好き人間にはたまらないこの狂いない棚田の法面。ちょうど水が張られていて、本当に清々しい。
ちなみに、
このこんもりとしたのは、丸尾山。キリシタンの墓地が発掘され、その時代には十字架が立てられていたのではないかということ。地元の方からは「丸尾さま」と呼ばれている場所です。この丸尾山からは海を望むことができ、信仰の空間として、春日集落の中で象徴的な場所となっているようです。
春日集落は、まさに幕府の禁教政策から隠れながら、キリスト教を信仰していた集落。教会のような施設はなく、一見、日本全国にある棚田の景勝地のように見えます。でも、後で訪れた生月島の「島の館」の方から熱く説明していただいたのは、この棚田は、ここに暮らし、信仰心を密やかに貫き続けるための基盤だったということ。
こういうことは、どう来訪者に伝えていくのが良いのでしょうか? こういう歴史的な事実が存在していたという事を「知る」のは簡単ですが、明確な信仰心を持たず、隠れて活動しなければならない環境にもいない私を含む人たちに、少しでも「感じて」もらうためには。美しい景色に感動するということだけでもいいかもしれませんし、隠れキリシタンの文化に感動せよ!ということを押し付けるわけでもなく、でも、そこに暮らした(ている)人と自分とがつながれれば(ほんのちょっとでいいから!)。美瑛町でも、同じことを考えている気がします(笑)
翌日は、根獅子集落へ。独自の地域づくり活動が行なわれているということでお邪魔しました。海を望める高台の集会施設で、今日はお祭りがあるとのこと。
集会施設の隣に、ねしこ交流庵という建物があるのですが、根獅子に惚れ込んだ複数の大学の先生が自腹で建てた建物とのこと(驚愕!)。私たちもちょっとだけお邪魔したのですが、続々集まる子供達も興味深々で建物の中を探検してました。
惚れ込む理由がわかる眺望。写真がへたくそですが、今すぐ縁側で仲間とビールが飲みたくなる、気持ちよさ。
午前中伺ったのですが、あれよあれよという間に老若男女が集い、祭りの準備。みんな自然体で楽しそうなのが印象的でした。かねてから、そこに暮らしている人がプチ自慢をしてくれるコトやモノに、最も感動を覚えてきた私ですが、ここでも自慢の品々のオンパレード。こんなお酒を実は作ってて…とか、この猟師さんのイノシシの肉は絶品…とか、桜餅食べてみる?…とか。中でも印象的だったのは、「根獅子觸民約書」。まだ全文に目を通せていないのですが、昭和4年に根獅子集落の取り決めを独自にまとめたものです。根獅子集落の地域づくりは、いまいま始ったものではなく、約書のように脈々と受け継がれてきたものなのかもしれません。
伊万里市にうかがってきました
佐賀県伊万里市。焼き物で有名なまちにうかがってきました。今回うかがうことになったきっかけは、九州大学芸術工学専攻とユーザー感性学専攻の二人の先生方のお誘いをいただいたことでした。異なるご専門の先生方とご一緒させて頂くのは楽しいですし、勉強になります。
伊万里は行ったことがなかったのですが、箱崎から車で1時間30分強です。近い。佐賀県の文化財課の方と共に、伊万里市教育委員会の方にご案内いただきました。
今回の目的の一つが、この前田家。
登録文化財になっている旧庄屋さんのお宅です。茅葺・くど造り(一見、L字型に見えますが、非常に複雑な屋根の構造となってるのです)のこの地域の最大級の家屋となります。
今は水が引き込まれていませんが、池泉式の庭園も広がっています。写真は、ストーンサークルのような庭の一部。おそらく円状に水が巡っていたのでしょう。とても大きな椿の木もあり、季節の良い時に再び訪れたい空間でした。
裏には畑の空間も広がっています。ここで採れた野菜が食卓に上っていたのでしょうか。畑の背景に見えるのは土蔵です。茅葺屋根の主屋に土蔵が幾つか接続しています。江戸後期から明治後期まで発展し、今の形になったのです。
これは水車小屋の壁です。このように貫が壁に縄で括りつけられている構造が珍しいのではないかということでした。私も初めて見ました。伊万里の家屋ではこのような構造が見られるものが複数棟あるそうです。
内部も見せていただきましたが、現在も管理が行き届いており、大切にされてきた建物であることがわかります。襖や障子などの建具も古いものが残されている他、欄間などもダイナミックなデザイン。加えて、焼きものなどの調度品や生活用品が数千単位で家屋と一緒に受け継がれているのです。
問題となっているのはこの家屋の活用です。維持管理にはお金がかかります。屋根や軸部の修理が必要な時もこれから出てくるでしょう。どのような活用をすれば、この家屋を後世に継承していけるのか。重要な課題です。
伊万里駅周辺を歩いてみると、正直、伊万里津として栄えた当時の姿を残しているという印象はありません。でも丹念に歩いていくと、そういった歴史を残す家屋を見つけることができます。看板建築の裏側は、土蔵造りのままだったりすることも。
これは白壁土蔵の建物が4軒連なっている場所(実は土蔵風に修景されたものが一棟ありますが)。この通りは、焼き物問屋が建ち並んでいました。手前から2軒目は、陶器商家資料館として活用されている「丸駒」。
今回教えていただいた知識ですが、伊万里でつくられた焼き物は、小石原焼や小鹿田焼などの生活用の器ではなく、将軍家に献上されていたものでした。実は、もともと伊万里では焼き物をつくっておらず、伊万里津と言われ、有田焼や波佐見焼の積み出し港として栄えていました。つまり、伊万里津から来た作品だから伊万里焼と言われているけれども、それは有田焼や波佐見焼だったのです。この当時のものを「古伊万里」として伊万里焼とは区別しています。
その後、技術やデザインが盗用されることを恐れ、伊万里市内の管理のしやすい谷地に鍋島藩御用窯が移されます。それが大川内山(おおかわちやま)です。そこで将軍家に納めるためにつくられていたものが「伊万里焼」だったかというと、それも違って、それらは「鍋島焼」と言われていました。複雑・・・。伊万里焼と言われ始めたのは、廃藩置県後に民営化されてからなのだそうです。
現在の伊万里焼も鍋島焼と言われた時代の技法を受け継いだものなので、非常に高価。今回、伊万里焼が販売されているお店にはいかなかったのでいくらぐらいのものかわかりませんが、伊万里に住んでいた方はどんな器を生活の中で使っていたかというと、波佐見焼などだったそうです。
これは丸駒で展示されているのですが、積み出しの際に、割れないように磁器を包んだものです。品物に合わせてこのように美しく梱包する専門の職人がいたとのこと。こういった、焼き物の周辺の技術や生活文化のようなもの、もっと掘り起こしていきたいところです。
このように、いまも伊万里焼を卸しているお店が残っていたりもします。
最後に、この写真。
ディープな伊万里を!ということでご案内いただいたのですが、スナックやパブなどが立ち並ぶ通りの写真です。どの地域でも、飲み屋さんはありますが、かなりの密度・エリアで広がっています。お話を聞くと、有田などの市外からも飲みに来られるそうです。残念ながら、先ほどの白壁土蔵が立ち並ぶ商店街エリアは、シャッターが閉まったままのお店が非常に多く、少し寂しい雰囲気なのですが、一本道を入ると夜の盛り場が広がっている…まだ日が昇っていたので、閉まっているお店が多かったですが、是非夜歩いてみたい路地がたくさんでした。
今、若手を中心としたリノベーションなどの取り組みが始まっているというお話もうかがうことができ、今回お誘いいただいた先生方とともに、前田家の活用を核としながら、伊万里のまちの面白さを引き出せるようなことに少し携わっていけたらなと思う次第です。
「まち」にとっての「ミュージアム」
京都文化博物館で行われたシンポジウムにて、お話をさせて頂く機会がありました。ミュージアムがテーマであり、学芸員としての経歴や、そういった文化施設で働いた経験もないため、実践的な話をすることができなかったのですが、地域にとってミュージアムに期待することが何か、改めて考えるきっかけになりました。
このシンポジウムを前に、今年度3回、京都文化博物館と、博物館が立地する「三条」と「姉小路」という2つの地域に伺わせていただきました。京都文化博物館が地域のまちづくり団体と協働し、地域の文化資源の発掘(発掘と言っても土の中に埋もれているものではなく、生活やその空間の中で埋もれているものにスポットライトを当てる作業)を行うためです。この取り組みに、文化資源の保存活用が専門の北海道大学の村上佳代先生と参画しました。
京都というまちを訪れた人は多いかと思います。私が初めて訪れたのは中学校の修学旅行でした。その時訪れたところと言えば、清水寺、産寧坂、金閣寺、銀閣寺、南禅寺、下鴨神社、三十三間堂、嵐山…
私のような旅行をした人は多いのではないでしょうか? そこでは同級生や引率の先生以外、ホテルや店舗の従業員と少し話すくらいで誰とも話すことはありませんでした。
今回訪れた二つの地域は、人が実際にお商売をしていたり、住んでいたりする場所。今回の取り組みに参加する中でまず感じたのは、上記の観光スポットとなっている寺社などの他にも、日常の暮らしの中にたくさんの歴史が刻まれた場所が存在していること。まさに京都という場所で、私たちがその歴史や文化に触れられるのは、そこに住み、それらを誇りに思い、実際に大切にしているたくさんの人がいるから。想像力を働かせればあたりまえの話。でも、そのあたりまえが見えなくなるのが、観光というものの一つの傾向かもしれません。
三条通りにはこのような近代建築が多く残されています。三条通りは三条大路というかつてのメインストリートだったため、銀行や保険会社、新聞社が洋風の重厚な建築で立地していたのです。現在は商店が多く、実はこの建物、とってもオシャレなアパレルショップが入っています。
この通りには、Paul Smithが入っている歴史的な町家も。
こちらは、姉小路にある「八百三」さん。創業1708年(驚きですが、京都では通常なのでしょうか・・・)の柚味噌を販売しているお店です。。また、「柚味噌」と描かれている看板はかの有名な北大路魯山人の作品(今はレプリカが掲げられており、本物は店内で大切に保管されています)。
どちらの通りも、まちづくり活動に熱心です。
こちらは三条の取り組みである「まちかどミュージアム」。このお店の歴史や、かつての姿が古写真も用いながら解説されたボードが展示されています。
こちらはぶれちゃっていますが、「姉小路界隈町式目 平成版」。かつてコミュニティのルールとして定められていた町式目を応用し、町並みを守るためのルールを現代版町式目として掲載しています。
地域の方にお話を伺ってみてわかったことはたくさんあります。老舗と言われるお店や、代々住んでいるお宅の建物だけでなく、その中にたくさんのお宝が眠っていること。それらのお宝は、今もなお大切にされ、楽しまれていること。暮らし方の中に、京都で生きることのプライドや価値観、教養が息づいていること。要は、人の営みや思いに触れられたことが、私の中で最も印象的でした。
とある旅館では、それらのお宝が室内にセンス良く飾られ、宿泊客の目を楽しませており、とあるお宅では、お祭りの時に掲げる提灯がいつでも使えるように大切にしまわれている。月ごとに飾っているお花や掛け軸、絵を変えて季節感を取り入れる。そう言ったことが、自分自信の暮らしぶりと比べられて感動する。
きっとみんながみんな、そういうことに感動するのではないと思うのですが、そこに暮らす人々に焦点をあてることが、一つの魅力になるのではないでしょうか? そうした時に博物館はどんな役割を担うことができるのか、どんな可能性があるのか。
今回のシンポジウムでは全くうまく話すことができなかったのですが、引き続き、考えていきたいテーマです。
竹富島にうかがってきました_2015年11月
沖縄県竹富島にうかがってきました。私がフィールドとしている岐阜県白川村と同様、国の伝統的建造物群保存地区として選定された集落景観を求めて、多くの観光客が訪れる島です。そういえば今回、なごみの塔(集落景観が見渡せる)にのぼってないな…
今回、4回目にしてはじめて水牛車に乗りました。
水牛の速度で巡る集落。そしてみんなで唄う安里屋ユンタ。この有名な安里屋ユンタに登場する、役人に見初められたクヤマの生家は竹富島にあるのです。
びっくりしたのは、水牛がもよおすタイミングを見逃さず、サッと、案内の方がバケツを水牛のお尻に差し出すこと。そんな驚きも含めた初体験でした。
こちらは、バギナ屋と呼ばれる茅葺の民家。竹富島はもともと茅葺だったのです。
そして、おばあによる「素足のツアー」にもはじめて体験しました。素敵な方。芭蕉布の説明をしてくださってます。
それ以外にも、これはかつての見張りの場所。この延長線上に桟橋があったそうです。
これはお墓。女性の下腹部を表した亀甲墓(きっこうばか)という形式のもの。文化人類学と宗教学が専門の前職の同僚たちが、ビビッときたのか、あっという間にフィールドワークモードに切り替わる(笑)ところを垣間見る。
今回の出張の目的は、竹富島における景観マネジメントの現状を把握することでしたが、各種会合にオブザーバーとして参加させていただくだけでなく、実際に集落を巡りながら伝建群の修理や修景の考え方を確認する場もありました。
みなさん、とても熱心。竹富島への愛で溢れている。
そして、みんなが持参する竹富島のガイドライン。
このように、役に立つ研究、そして計画策定を行うことが、どれだけ難しいことか… 私の竹富島研究は始まったばかりです。
五島にうかがってきました_2015年11月
長崎県五島市の福江島と奈留島にうかがってきました。
大学時代の先輩で、福江島にUターンしてデザイナーとして活躍している有川さんからお声かけいただき、有川さんと一緒に世界遺産と地域振興のお話をしてきました。
初めての五島。私の中で近いようで遠かった五島。とても素敵な島でした。
これは、奈留島の江上天主堂(えがみてんしゅどう)。「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産となっています。
予約していないと内部が見学できないようでしたが、偶然、管理をされている方にお声かけいただき、見学することができました。
こじんまりとした空間。びっくりしたのは、その手作り感。
内部に見られる木目は、部材が腐食しないよう、下地にベンガラを塗った上で、描いたもの。ステンドグラスも手書き。
周辺の石垣も美しく、まさに地域の小さな教会。
こちらは、福江島の堂崎天主堂(どうざきてんしゅどう)。構成資産には入っていないが、観光スポットのひとつになっており、韓国人のお客さんがバスで訪れて賑やかだったが、史料が充実しており五島におけるキリスト教の歴史を知ることができる重要な教会です。
リブ・ヴォールト天井が美しい。
この白い、港町を見下ろす教会は、水ノ浦教会堂(みずのうらきょうかいどう)。
ここはここで、中に入ると、信仰している住民の方のひざ掛けや聖書が置かれており、温かい空間。
それ以外にも、魚藍観音(ぎょらんかんのん)さまが見守るその足元には、
こんな静かな白砂の浜辺や
このような景色が。自分がどこに来ているのかを忘れる。
それ以外にも、五島うどん(本当は上五島が産地だそうです)に、新鮮なお刺身、お寿司、味噌まんじゅう(絶品!)、健康的なソトノマランチにこだわり洋食、牡蠣にボジョレーヌーボー(笑)など、美味しい五島も満喫。
有川さんがデザインした幼稚園や、屋号やパッケージのデザインを手がけているロザリオのお店、かんころ餅の工房なども訪ねさせてもらい、ポテンシャルの高さを感じました(それ以外にもたくだんの新しいプロジェクトが動き出している!)。
最後のおまけに、「さざえ」「つばき」「あわび」「お城」「はまぐり」などのモチーフの五島のもなか。お城のもなかは、まさかの「濡れもなか」でした。味も抜群。
世界遺産は一つのきっかけとして、良い意味で強かに、多種多様な五島の魅力にふれられる観光を展開してほしいと思います。
ガラパゴスに行ってきました 2
プエルトアヨラで2泊しつつ、日帰りでサウス・プラザ島に。ここには人が住んでいないので、小さな桟橋しかなく、アシカがお出迎え。前回の視察記録で書いているように、基本的に、人が住むことを許されているエリアを設定して貴重な動植物を保護しているため、動物達は人間が近づいてもなんのその。動物達が生きている中にお邪魔する感じ。
このようなどこにも似ていない景色、見たことがない景色の中に…
固有種のイグアナや、
溶岩トカゲ、
大のお気に入りとなったアオアシカツオドリ(アシが水色なのです)、
羽を休めるグンカンドリ、そして
シャチまで! 見ることができました。これにはガイドさんも含めてみんなびっくり。
こういったVisiting Point(観光客が訪れて良い場所)では、脱線して歩くことはできません。Visiting Pointでは、このような看板があり、できること/できないことがわかりやすくサインで表示されてます。看板自体もすべて木製のため、色が褪せていたりはするものの、それも含めて素朴な素敵さがある。
きちんと歩く場所が決められていて、道から逸れることはできません。入ったらいけない場所にはさりげなくStopの文字が。
こんな可愛らしいサインもあります。産卵の場所なのね。
次はイザベラ島に滞在。イサベラ島は天国のような島でしたが、2時間半の地獄のスピードボートが難点。ガンガン揺れて、ガンガン跳ねる(笑)。あれはあれで今となってはいい経験でしたが、倒れる人続出で地獄絵図。私も船内を移動中に完全に体が浮き上がり、危うくぶっ飛ぶところでした。ひたすら寝て耐える。ようやくたどり着いたら…
アシカがお出迎え。普通にベンチで寝てます。イサベラ島でも自然探索ツアーに。
ペンギンに会えたり、
海イグアナがごろごろいます。
とある展望台からはこのような景色が。
まとめていると、ツアーばかりに出かけているようですが、ゾウガメの繁殖センター、公園局のオフィス、ダーウィン研究所など各種自然遺産保護の関係部局にてヒアリングなども。スペイン語が堪能な、日本ガラパゴスの会の事務局長である奥野さん、そして北大の石黒先生に感謝。写真は掲載しませんが、皆、島を愛し、誇りを持っているように感じました。
ダーウィン研究所にて、動物の剥製を用いて説明してくださった職員の方。
公園局の方のユニフォーム。ガラパゴスのワッペンが。
学校の子供たち。無邪気!
そして高校生レストランでもてなしてくれた生徒さん。笑顔が素敵。こんな高校生が…
こんな本格的な料理を提供してくれます。慣れていないところもあるようですが、それも微笑ましく。
ガラパゴスの保存管理は決して綺麗ごとではなく、様々な苦難を経て今があります。そのまま文化遺産の保存管理に適用できるわけではないけれども、もっと工夫ができることがたくさんあると実感。お世話になったアートツアーの波形さん、日本ガラパゴスの会の奥野さん、そして企画してくださった真板先生、ありがとうございました。
ガラパゴスに行ってきました_2015年8月
エクアドルのガラパゴス諸島に、自然遺産の保存管理と観光マネジメントの視察に行ってきました。ガラパゴス諸島は、1978年に世界自然遺産に登録された、チャールズ・ダーウィンが進化論を構想するきっかけとなった場所です。人の営みと固有種の保全とのバランスをとるのが非常に難しく、2007年に危機遺産リストに入りましたが、様々な努力により2010年にリストから外れることに成功しています。
私のフィールドは「文化遺産」ですが、自然遺産であるガラパゴスに行ってみてわかったことは、文化遺産の保存管理の参考になる、勇気づけられることが多かったこと。観光コントロールを大胆に行っていること、国や自治体、第三者機関としてのダーウィン研究所の役割など、考えさせられることがたくさんありました。今年世界遺産登録20周年を迎えた岐阜県白川村において、保存管理や観光活用のあり方を見直す「世界遺産マスタープラン」の策定に携わってきましたが、実はガラパゴス諸島も「良い暮らしのためのガラパゴス保護区のマネジメントプラン(management plans of protected areas of the Galapagos for the good life)」というマスタープランを改めて策定し、将来に向かって歩みを進めているのです。
今回、ガラパゴスへは、Quito空港を経由し、飛行機で行きました。この写真は空港から見える雪山。この時は異常なしでしたが、この後噴火することに… ちなみにQuitoの旧市街地も世界文化遺産に登録されています。
セイモウル空港@バルトラ島に到着。長旅を経て、いよいよガラパゴス。
ガラパゴス諸島に入島する時には、空港にて100ドルを払わねばなりません。このお金が、遺産の保存活動にも充てられています。公園局の方のお話によると、値上げを検討しているとのこと。
空港を出たところで、今回の旅に同行してくれるナチュラルガイドと合流。ナチュラルガイドが同行していなければ行くことができないところがたくさんあるのです。
バルトラ島から、サンタクルス島へ船で移動。早速、様々な固有種のお出迎え。これはグンカンドリ。
これは、フィンチ。水中写真のようにも見えますが、単に青いコンクリートの桟橋の上に停まっているものを撮影しただけです。
自然とこうなります(笑)。よってたかって撮影会。
サンタクルス島の北岸に上陸し、南に位置するプエルトアヨラという市街地までバスで向かいます。この道、サンタクルスハイウェイという道で、とにかくまっすぐ島を縦断しています。
その道沿いにも見所があるのですが、その一つがここ。
溶岩が噴出して、その後陥没してできたクレーター(Los Gemelos)。港についた時には晴れていたのですが、ここで小雨が… ナチュラルガイドから、外来種の繁茂について教えてもらいました。
ひとたび外来種が入ってしまうと、ものすごい勢いで増えるそうです。自然遺産の保存管理の大変さったらない。
引き続き南下し、到着したのが…
レストラン。でも、ただのレストランではなく、食事を終えた人たちは、あるものを楽しみます。
彼らのお目当ては…
そう! ガラパゴスゾウガメ! ここにはたくさんのゾウガメがいます。でも彼らは囲われて飼われているわけではないのです。あくまでも自然にいるということなのですが、なぜここに集まってくるのだろう… つぶらな瞳で草を一生懸命食べる様子に時間を忘れます。
とても長生きするというゾウガメ。年輪のような模様が甲羅にできるのだけれども、このゾウガメが何年生きているのか、そして寿命もわからないそうです。
そしてプエルトアヨラに到着。残念ながらあまり街並みの写真を撮っていないのですが、普通の街です。
「普通の」とあえてつけたのは、ガラパゴス諸島にこんな比較的規模の大きい街があると思っていなかったから。行ったこともないのに、勝手なイメージ。でも、人が住むことができる場所は、ガラパゴス諸島の中の、ほんの3パーセントなんです。それ以外のエリアは基本的に開発できません。通常、人間が暮らしたり、暮らさなかったりする中に自然保護のエリアを設定しますが、ガラパゴスの場合は、自然の中に、人間が住むエリアが設定されている。全く真逆。
〜「ガラパゴスへ行ってきました2」へ続く〜