地域文化デザイン論(九大)の最終発表会を行いました。
九州大学に着任してはじめての授業「地域文化デザイン論」の最終発表会を1月28日の午前中に開催しました。この授業では、簡単に言うと、地域の文化が持つ面白さや可能性に気づき、それらを保存・継承したり、観光などのまちづくりに活かすことについて学びます。
写真は、履修者が毎回の授業(今期は隔週の2コマ続き)で出してくれたミニレポート。授業の方法や内容にかんする厳しい指摘もありますが(汗)、毎回たくさんの質問や感想を書いてくれます。これを受けて、説明が不足している部分について、次回の授業で補足し、わからなかったり納得いかなかったりする部分を減らすようにしています。
できれば、最終発表会の写真をアップしたかったのですが、集中するあまり写真撮影を忘れました。テーマは「私の世界遺産」。世界遺産に登録されていない、自分の身の回りの魅力的な資源について、世界遺産申請書のフォーマットに基づき発表してもらうものです。私の恩師が行っている課題を参考にしたものですが、自分が好きなもの、魅力的に感じるものを客観的に説明する訓練になり、また、より深くその資源について知る・考えるきっかけにもなり、非常に面白いのです。
履修生が取り上げてくれたテーマは様々で、媽祖信仰(中国発祥の航海や漁業の守護神)、熱乾麺(中国武漢のローカルフード)、博多祇園山笠、宝塚歌劇団、招き猫文化、八大関(中国青島の別荘地)、九大キャンパス、本渓水洞(中国遼寧省の鍾乳洞)などなど。
取り組んでみると、真正性や完全性にかんする記述が非常に難しいこと(きっと本当の世界遺産登録でも同じなんでしょうね)、また、普遍的価値を皆を納得させられるよう戦略的に説明することが重要であることがわかります。事前に1回、30分〜1時間の個別指導をしましたが、なかなか伝えきれず。来年度の反省点となりました。
どこまで授業の内容を理解してもらったかは、学生さんそれぞれだと思いますが、多種多様の面白いものやことが世界中にあり、様々な可能性があることを感じてもらえたのではないでしょうか。私もかなり楽しませていただきました。
美瑛町をフィールドにフェノロジーカレンダーを作っています
美瑛町というと、皆さん何を思い浮かべるでしょうか? 波のようにうねる丘の連なりでしょうか? それとも農地の中に立つ樹木でしょうか? はたまた最近美瑛を知った方は、「青い池」と答えるかもしれませんね。
ちなみにこの写真は、美味しいソフトクリームが味わえる美瑛ファームの風景です。
現在美瑛町では、今後の観光のあり方について構想する計画を策定するために、観光にかかわる様々な調査を行っています。その一つがフェノロジーカレンダーの作成です。
フェノロジーカレンダーとは、北海道大学観光学高等研究センターの真板昭夫先生の指導のもと、全国様々な場所で作成されている季節暦のことです。カレンダーというと1ヶ月毎にめくるものを想像される方も多いかもしれませんが、このカレンダーは1月から12月までを一つの表で表し、その中に、植物や動物、風景、祭礼行事やイベントなどがどの時期に見られるものなのか、野菜などの生産物の場合はどの時期が旬なのかがわかるように示したものなのです。
真板先生の授業は非常に実践的で、履修している学生さんとともに、このカレンダー作成に取り組んでいます。
作成の過程では、もちろん掲載する資源について知らなければならないので、美瑛町のことが記述されている様々な文献を読んだり、行政の職員の方々、美瑛町で農業を営んでいる人、美瑛で採れた食材で美味しい料理をつくる奥様方などから直接お話をうかがったりします。そんなこんなで2年がかりで調査をしてきましたが、ようやく編集作業に。
カレンダー内でどんなイラストや写真を掲載するか、パンフレット全体の構成などを考えています。
実際に、この授業の中では履修生一人一人が、聞き取りをエピソードとしてまとめる作業も行なっています。最初は文章もたどたどしかったのが、聞き取りを進めることで自分の中での美瑛像が具体的になるからか、魅力的な表現がたくさん出てくるように。これには私もたまげました。
編集作業でもたくさんのアイデアが出てきます。フェノロジーカレンダーのいいところは、みんなが参加できるということ。基本的に、自然の移り変わりと人々の暮らしとの関係性を表現するものなので、誰しもが関心を持つことができるのです。きっと、これから関係部局の方々に意見をもらっていく中で、より面白いカレンダーになっていくことでしょう。
最初に、いくつかの知名度の高い美瑛町のイメージを挙げましたが、これは極々一部であり、美瑛町には語るべきものがたくさんあることがカレンダーを通じて共有されるといいなと思います。
「まち」にとっての「ミュージアム」
京都文化博物館で行われたシンポジウムにて、お話をさせて頂く機会がありました。ミュージアムがテーマであり、学芸員としての経歴や、そういった文化施設で働いた経験もないため、実践的な話をすることができなかったのですが、地域にとってミュージアムに期待することが何か、改めて考えるきっかけになりました。
このシンポジウムを前に、今年度3回、京都文化博物館と、博物館が立地する「三条」と「姉小路」という2つの地域に伺わせていただきました。京都文化博物館が地域のまちづくり団体と協働し、地域の文化資源の発掘(発掘と言っても土の中に埋もれているものではなく、生活やその空間の中で埋もれているものにスポットライトを当てる作業)を行うためです。この取り組みに、文化資源の保存活用が専門の北海道大学の村上佳代先生と参画しました。
京都というまちを訪れた人は多いかと思います。私が初めて訪れたのは中学校の修学旅行でした。その時訪れたところと言えば、清水寺、産寧坂、金閣寺、銀閣寺、南禅寺、下鴨神社、三十三間堂、嵐山…
私のような旅行をした人は多いのではないでしょうか? そこでは同級生や引率の先生以外、ホテルや店舗の従業員と少し話すくらいで誰とも話すことはありませんでした。
今回訪れた二つの地域は、人が実際にお商売をしていたり、住んでいたりする場所。今回の取り組みに参加する中でまず感じたのは、上記の観光スポットとなっている寺社などの他にも、日常の暮らしの中にたくさんの歴史が刻まれた場所が存在していること。まさに京都という場所で、私たちがその歴史や文化に触れられるのは、そこに住み、それらを誇りに思い、実際に大切にしているたくさんの人がいるから。想像力を働かせればあたりまえの話。でも、そのあたりまえが見えなくなるのが、観光というものの一つの傾向かもしれません。
三条通りにはこのような近代建築が多く残されています。三条通りは三条大路というかつてのメインストリートだったため、銀行や保険会社、新聞社が洋風の重厚な建築で立地していたのです。現在は商店が多く、実はこの建物、とってもオシャレなアパレルショップが入っています。
この通りには、Paul Smithが入っている歴史的な町家も。
こちらは、姉小路にある「八百三」さん。創業1708年(驚きですが、京都では通常なのでしょうか・・・)の柚味噌を販売しているお店です。。また、「柚味噌」と描かれている看板はかの有名な北大路魯山人の作品(今はレプリカが掲げられており、本物は店内で大切に保管されています)。
どちらの通りも、まちづくり活動に熱心です。
こちらは三条の取り組みである「まちかどミュージアム」。このお店の歴史や、かつての姿が古写真も用いながら解説されたボードが展示されています。
こちらはぶれちゃっていますが、「姉小路界隈町式目 平成版」。かつてコミュニティのルールとして定められていた町式目を応用し、町並みを守るためのルールを現代版町式目として掲載しています。
地域の方にお話を伺ってみてわかったことはたくさんあります。老舗と言われるお店や、代々住んでいるお宅の建物だけでなく、その中にたくさんのお宝が眠っていること。それらのお宝は、今もなお大切にされ、楽しまれていること。暮らし方の中に、京都で生きることのプライドや価値観、教養が息づいていること。要は、人の営みや思いに触れられたことが、私の中で最も印象的でした。
とある旅館では、それらのお宝が室内にセンス良く飾られ、宿泊客の目を楽しませており、とあるお宅では、お祭りの時に掲げる提灯がいつでも使えるように大切にしまわれている。月ごとに飾っているお花や掛け軸、絵を変えて季節感を取り入れる。そう言ったことが、自分自信の暮らしぶりと比べられて感動する。
きっとみんながみんな、そういうことに感動するのではないと思うのですが、そこに暮らす人々に焦点をあてることが、一つの魅力になるのではないでしょうか? そうした時に博物館はどんな役割を担うことができるのか、どんな可能性があるのか。
今回のシンポジウムでは全くうまく話すことができなかったのですが、引き続き、考えていきたいテーマです。
ベネディクト・アンダーソン著・加藤剛訳 『ヤシガラ椀の外へ』
アメリカの政治学者(だが、中国生まれのアイルランド人)であり、東南アジアの地域研究がご専門のベネディクト・アンダーソン。惜しくも昨年12月、インドネシアのジャワ島にて享年79歳で亡くなりました。たまたま前職の飲み会の席で紹介してもらって読み始めた本であり、お恥ずかしながらそれまで著者のことを知らなかったのですが、今まさに読むべくして読んだ本でした。びっくり。
「研究」を本質的に理解するためには、その研究をおこなった人の生い立ちや、過ごした時代や、出会った人や、出会った地域(そしてその地域の歴史、文化、政治的な動き等々)についての理解が欠かすことができない。そのぐらい研究とは、様々な背景を背負ったものであるし、冒険的に新しい価値観を提供するもの。普段、自分が行っている研究が、いかに「その場の事実切り取り型」か…ということを反省。これまでだったら、分野が異なるから…と言い訳をしてきたかもしれませんが、私がぶつかっている壁は、まさにこのことへの思慮のなさだったのだなと確信。
また、大学教育のあり方が問われる時代。九大に着任してから様々な会議に出させてもらうことも多くなりましたが、大学のミッションって何なのか?、教員ってどう行動するべきなのか?、今存続を脅かされている人文社会系の学問とは何なのか?、一方で自然科学系の学問はこのままでいいのか?、そもそもディシプリンって何なのか?、学際的研究が推奨されるのはなぜなのか?、大学の人事ってどんな仕組みなのか?、少子化や外国人の留学生の増加をどのように捉えていけばよいのか?……取り上げるとキリがない多くの「?」にぶち当たっていました。それを考える上での糸口がたくさんこの本には書かれています。しかも、これまでの歴史も含めて極めてわかりやすく、そしてこれからのヒントもたっぷりに。
そして、研究とは、人々(家族、友人、研究仲間、師などなど)、場所(出身地、育った国、大学、研究フィールドなどなど)、機会(時代背景、政治や政策、チャンスなどなど)の出会いによって成り立っており、それらと出会った幸運に感謝しなければならない。これにかんしては、私も同感。でも年齢を重ねる中で、これからもそう思い続けていられるのか。そういった出会いを楽しんでいけるのか……
ヤシガラ椀の外へ出られるかはきっと個人次第だけれども(私含む)、外を意識することには確実になる、オススメの本。