伊万里フェノロジーカレンダーの完成と2017年度の取り組み

伊万里フェノロジーカレンダーの完成と2017年度の取り組み

Posted by on 7月 17, 2017 in プロジェクト, 授業

とうとう、伊万里市をフィールドとしたフェノロジーカレンダー(地域資源の季節暦)が完成しました。2016年度末に編集を完了していたのですが、改めて調査コーディネートをしていただいた伊万里市生涯学習課の方々やヒアリングに協力していただいた地域の皆さんにフェノロジーカレンダーをお配りし、加筆・修正をお願いしていました。その加筆・修正を反映させたものが、この度できがった次第です。

本当に調査にはたくさんの方々にご協力いただきました。本当に感謝です。
そして、学生さんもほぼほぼ留学生で聞き取りが大変だったであろうにもかかわらず、頑張りました。

このカレンダーの修正作業は、7月14〜16日のリノベーションスクールin伊万里の開講に合わせて行いました。伊万里を知ってもらう媒体として活用していただけるのではないかという話になったためです。私はその場に参加できなかったのですが、コーディネーター・アドバイザーとして参加されていた講師の方々に、短時間で地域のことがつかめるということでご好評いただいたようで、嬉しい限りです。

さて、本年度は、三島美佐子先生との合同演習授業として、伊万里に関わるきっかけとなった前田家住宅の活用のための基礎調査に、学生さんとともに取り組んでいます。文化財としての建築物の調査はすでに完了しているので、趣ある空間、調度品や庭園など、活用視点で魅力的だと思う箇所を視点採集をしています。活用には、新鮮な目で、その可能性を見い出すことが大事。ユーザー感性学という分野を学ぶ学生さんの自由な発想で、自分の目で前田家住宅を観察し、自分の言葉でその魅力を他者と共有するフィールドワークです。

民具を整理(リストのチェックと、タグの張り替えなど)しつつ実際に触れ、使用方法を聞き取りしながら活用を想像していきます。前田家住宅には、当時の生活を知ることができる民具(養蚕の道具、調理具、壺や桶、石臼、照明器具、昔のお風呂など)が数多くあってとても面白い。

この時は、母屋ではお茶会が開催されており、主催されていた方のご好意で、私たちも体験させていただくことができました(写真は三島先生が撮影されたもの)。みんなでお作法を教えていただき、ドキドキしながらお茶をいただきました。奥ではお花も展示されており、質素ながらも可憐で品のある作品を楽しむことができました。

また、宿泊する空間としての問題点や可能性を探ってみようということで、お試しお泊まりもさせていただきました。夜は、伊万里市役所、伊万里市民図書館、佐賀県庁、NPOまちづくり伊萬里、地域おこし協力隊の方々との懇親の場も設定していただいて大盛り上がり。夜の静けさ、朝の気持ち良さ、空間のポテンシャルを最大限楽しむことができました。

みんなで朝ごはん。

縁側にみんなで座ってお茶をしたり。
非常に贅沢な時間でした。

今後は、私たちなりの視点採集の成果や、調査や滞在の中でわかった課題を、伊万里にお住まいの方々と共有できるようにまとめるとともに、伊万里市民図書館で企画展をできないかと構想中です。リノベーションスクールで提案されたように、所有者の前田さんだけでなく、これからは地域の宝としてみんなで維持管理に関わっていくことが必要です。私たちが感じた前田家住宅や伊万里市の魅力を発信していくことで、活用のお手伝いができればと思っています。

都会と田舎についての私考

都会と田舎についての私考

Posted by on 7月 4, 2017 in 未分類

最近の幾つかの出来事が重なって、都会とは? 田舎とは? その二者の関係性とは? ということをよく考えます。

自分が現在暮らしている場所は福岡市。NHKのとある番組で、東京とそれ以外の地域との2極化が進む現状に対して、福岡市は第3極になり得るのか!?といったテーマで移住や起業促進が語られたりしましたが、紛れもなく都会の方。人口は約156万人(2017年6月1日推計)。福岡空港から中心地までのアクセスが良いこと、都市がコンパクトで簡単に自然にも触れられること、食べ物が美味しく安いことに加え、企業誘致や起業に力を入れた政策などが理由となり、政令指定都市の中で最も人口が増加しています。
その前の何年かは札幌市で暮らしていました。札幌市は196万人(2017年6月1日推計)の都市。福岡市よりも大きな都市です(面積もかなり広いため、人口密度としては福岡市が高い)。札幌駅には駅に接続する形でデパートやファッションビル、家電量販店が連なり、大通りエリアにはオフィスビルが立ち並び、ススキノなどの繁華街が広がります。こちらも都会。

その前の数年間は、岐阜県白川村に住んでいました。白川村は1,668人(2016年10月1日)の村。総務省調査によると、村は日本に183ある(大正11年には10,982あり、昭和や平成の大合併を経て激減)のですが、ウィキ情報(2017年)によると、下から数えて59番目の人口規模です。大部分は急傾斜の山林であり、庄川が南北方向に貫流し、わずかな河岸段丘上に集落が点在している、紛れもなく田舎です。

消滅可能性自治体の議論もありましたが、今や、人口減少に歯止めがかからない自治体は戦々恐々としながら、地方創生の財源を生かして地域活性化策を講じたり、移住定住のためのPRに力を入れている状況です。もちろん、人口減少は各地域にとって切実で、税収云々の前に、小学校がどんどん統廃合し自地域から子供がいなくなる、活動が人手不足・負担増で継続することが難しくなっていくといったことが起こっており、かなり状況は厳しい。白川村でも、平瀬地区から小学校がなくなり、30年にわたって開催されてきた冬の合掌造りのライトアップ事業の継続が難しくなっています。村を離れる決意をした家族がいて・・・という話を聞くと増田レポートが指摘した通り「待ったなし」である状況は現実で、各自治体がなんとかこの状況を打破したいと思うのは当たり前の話だと思います。

でも、この問題に本気で取り組むためには、都会とは何か? 田舎とは何か? この両者の関係性について考えなおさなければならないような気がしてなりません。

ちなみに都会とは、都市的な環境と言う意味で使っています。また、田舎は、都会から離れており都市的な環境ではない場所という意味で使っています。

まずは、都会と田舎との関係性について。
お互いを比較して、
・都会は「優れていて」/田舎は「遅れている」
・都会には「なんでもあって」/田舎には「何にもない」
・都会は「かっこよくて」/田舎は「ダサい」
・都会は「楽しくて」/田舎は「つまらない」
・都会は「自由で」「多様で」/田舎は「閉鎖的」
といったストーリーで両者が語られる場面が多く見られます。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48156
この記事で、立教大学の貞包先生が指摘されていますが、とにかく田舎は、様々なストーリーでメディアに取り上げられ、消費されてきた歴史があります。
筑波大学の黒田先生が、白川村が外部からどのように見られてきたかを著書(『世界遺産 白川郷 視線の先にあるもの』)で書かれていますが、好奇なイメージ、悲しいイメージ、故郷のイメージなど、時代背景や、外(都市)のニーズに合わせて、イメージが付与されてきた様子がわかります。

つまり、私たちが田舎に感じているイメージは、都会側から見や都合の良い解釈で付与されている可能性があります。そういったイメージにより、都会に暮らす人が、田舎に過剰な期待を寄せたり、田舎に暮らす人が過剰な劣等感を抱えるのではなく、もう少し掘り下げて理解するべきではと思うのです。

例えば、田舎は「閉鎖的」であるという話。
田舎の大前提のように持ち出される言葉です。
地方(田舎)が閉鎖的であるということの要因を探ると、

・その地域の価値観を強要される
・プライバシーがない
・いつまでもよそ者扱い
・出る杭は打たれる など

が挙げられます。
「田舎」「閉鎖的」でインターネット検索をかけると、田舎を批判する立場・擁護する立場のドロドロの言い争いがいっぱい出てきますが、都会から見た時の田舎の異常性を「閉鎖的」という言葉で表現している事がわかります。

ここからは、私が両方の地域に実際に住んでいて考えることです。
「閉鎖的」と言われる背景には、都会と田舎では、地域の維持管理システムとその中での個人の取り扱い方が異なることがあるのではないでしょうか。
田舎では、同地域に暮らす個人が「誰であるか(いかなる人であるか)」という情報が非常に重視される場合が多く、都会では重視されない場合が多いということです。

例えば結婚相手は、誰しもどんな人であるか見極めようと、年齢・学歴・職業・家族友人関係といった属性や経歴、価値観や考え方などの内面まで考慮に入るのではないでしょうか。なぜならば、長い年月共同生活をし、簡単に離れることができない(離婚は可能だけれども労力がかかる)利害関係者になるから。こう言ってしまうと身も蓋もないですが、綺麗ごとではかたづけれられない問題なのだと思います。

一方で、SNSの友人を、そこまで見極める人はいないのではないでしょうか。共通の知人がいたり、共通の趣味を持っていれば、たとえ会ったことがない人も簡単につながることができ、特定のルールを守れば、匿名でも構わない場合も多い。自由度が高く、開放的である一方で、SNSサービスからの退会も特定の相手のブロックも自由です。

どっちが良いという話ではなくて、田舎に暮らすということは、どちらかというと結婚というシステムに、都会に暮らすということは、SNSに参加するというシステムに近いのではないかということです。理由として想定されるのは、単純に、田舎は都会よりも、住民間の利害関係が強いシステムで地域が成立しているからだと考えます。

例えば、田舎では、都会では通常行政が担っているサービスを、自分たちで担ってきた(いる)ことが挙げられます。
自分の水田を一枚耕すにしても、水や水路は地域の共有財産であり、共同作業(ニンソク)で清掃や管理を行う必要があります。また、水道が普及する前は、共有の水路の水や湧き水を利用して料理や洗濯を行っており、使い方には厳しいルールがありました。でもそれらは、明文化されておらず、地元住民にとっては子供の頃から体で覚えているようなものであるため、もしかすると、そのルールを知らずに使ってしまった嫁や、ニンソクに参加しなかった新人が悪口を言われることになったかもしれません。

つまり、田舎では、地域を支える「仲間(利害関係者)」となってくれるかどうか、非常に厳しい目で見極めがなされるのです。しかも、これは氷山の一角であり、祭礼行事や消防などのつながりもあります。様々な主体や活動が生態系のようにからみあい、地域が構成されているため、外から見ると「不必要」だと感じられることも、そうではない場合があります。こういったシステムの大きな違いに、見極めをする側(田舎)とされる側(都会)の人間性が加わり、様々なトラブルが発生しているように感じます。

一方で、現在私は都会に住んでいますが、状況が大きく異なります。住んでいるアパートは入居・退去などが激しく、部屋によってオーナーが異なるため、自治的な活動は皆無です。町内会費すらも徴収されないのにはびっくりしましたが、玄関から外側は、管理業者さんや行政サービスで維持されています。正直、仕事がとても忙しいと、都会のシステムの方が圧倒的に楽です。でも、家賃さえ払うことができれば、この場所に住むのが私である必要はありません。それは地域に縛られない自由なことかもしれませんが、基本、都会の住民は代替可能な個人でしかないのです。
白川村に比べ、人口も多く賑やかな札幌市に引っ越した時に感じた「寂しさ」の要因は、そこにあったのだと思います。

このような、圧倒的な地域の維持管理システムや個人の取り扱われ方の違いに触れず、危機感を煽って都会側から田舎側に地方創生を促したり、メディアで自然豊かなイメージを流布して移住の促進をしたとしてもうまくいかないような気がするのは私だけでしょうか?

都会のいいように田舎を再生する、すなわち、都会から消費される対象としての田舎(観光地はまさにこのような状況)という構造を変えられないものか・・・都会は、その人口の多さと多様性から、消費地としての強みがありますし、田舎は情報量が少なく価値観が固定されやすいかもしれませんが、個々人が多くの労力と時間をさき、地域の自治を行っている凄み・底力があります。だから都会の常識に合わせるのではなく、もっとしたたかに、強く出て良いはず。白川村や竹富島はそういう気質を持っていると思いますし、もしかすると美瑛町が美しい村連合というシステムを立ち上げた理由もそこにあるような気がします。

伊万里での調査

伊万里での調査

Posted by on 1月 15, 2017 in プロジェクト

伊万里といえば、伊万里焼が一番頻出する回答でしょうか?
この写真は、私の実家にあった伊万里焼です。
(裏の糸底の部分に描かれている銘からネットで調べました)

祖父母から引き継いだもので、実家の父・母ともに「なんでも鑑定団」というテレビ番組が好きなのですが、「うちにあるお皿、鑑定してもらってみたいね〜」なんて言っています。

そして、これが私が伊万里にて絵付け体験をして作った、蕎麦猪口です(笑)

何事も体験をしてみるのは大切で、いかに伊万里の絵付けが繊細で、とても技術が高いものか、集中力が必要なものなのかが身をもってわかります。
ちなみに、絵柄は、私の好きなカラーというお花を選んでみました。
改めて、なんて大雑把な作品・・・

そして、私も銘を入れたい!と思い、入れたのがこれ。

徳利とお猪口をモチーフにしてみました。

伊万里には、昨年の2月から通い始めて、はや13回目。
美瑛で3年かかっているフェノロジーカレンダーの作成を、PTLを受講している学生さんとともに1年で作ってみようというある意味無謀な企画で、地域資源調査を行っています。
調査の調整をしていただいている伊万里市教育委員会の方々、そしていろいろなお話を聞かせていただける方々には本当に感謝です。

これまで、公民館単位でお住まいの方に集まっていただいたり、漁師さん、お茶・黒米・伊万里牛などの生産者さん、農協の職員さん、大川内山のおかみの会の方などなど、50名以上の方々に聞き取りを行ってきましたが、今回13回目にして初めて、伊万里焼の職人さんに話をうかがいました。

お集まりいただいたのは3名の若手職人さん。
それぞれに大学進学(製陶とは実質関係のない学問分野)や社会人経験を経て、子供の頃から当たり前だった伊万里焼の良さを再発見されて、製陶技術を学び、入社されている方々でした。

実際に伊万里焼を作り、それをお客さんに販売されている方々のお話は、想像以上に面白い!

まず、窯元さんや職人さん(作家さん)で非常に多様性があること。伊万里焼も伝統的な技法を受け継いだ作品を作りながらも、大学で学んだことを生かして新しい作品づくりを行っている方もいらっしゃれば、商社と商品開発を行っている方もいらっしゃる。そして、それぞれに製陶する上での、好き/やりがいを感じる工程も違う。ろくろでの成形が好きという方、細かな模様を絵付けすることが好きな方、また、消費者のニーズを把握した上で、伊万里焼らしさを出しつつ、コストを計算しながら商品のデザインを考えることが好きな方。

また、それぞれに作家活動をしながらも、ある程度「産業化」することが必要という話も、興味深いものでした。ここでいう産業化とは効率良く量を作るということ。実は、伊万里焼は、土の採取や生地づくりから全て行っている小鹿田焼(大分県日田市)とは異なり、ある程度分業しています。やはり好景気だった時から製陶量が1/6程度になっている中で、専門で生地づくりを行っている協力会社さんが減少している。その協力会社さんに、安定して経営をしてもらうためにも、産業としての量が必要だということなのです。

あと、お客さんとのコミュニケーションのお話も面白い。それぞれの窯元のリピーターは、作品を作家さんの人柄やライフスタイルとともに購入しているというのです。そういった方々は展示会などでも、会場の入場料(結構な金額です)を払っているにもかかわらず、お土産を持って会いにこられるとのこと。つまり、生産者・消費者という関係性を超えて、人と人との繋がりになっているということ。私は「おもてなし」という言葉があまり好きではないのですが、なぜ好きではないかというと、そこに「お客様は神様です」的な発想が透けて見える気がするから。でも、白川村で話を聞いてもそうですが、昔から好きで通っている方(ヘビーなリピーター)は、地元の方と、お店の人・お客さんという関係を超えた人間 対 人間の関係を結んでいる。お互い、人間としてされて嬉しいことをする、というシンプルなコミュニケーションが、最も良い関係なのではないかと感じるのです。まさに、伊万里の窯元さんは、そういう関係をお客さんと結び、お客さんが完全にファンとなっている。

また、肥前エリアは、有名どころの窯業地域が分布していますが、有田焼・波佐見焼・伊万里焼のそれぞれの商品展開の違いと、それがどういった要因で違いが生まれているかについても、教えていただきました。例えば、近年、波佐見焼をおしゃれインテリアショップや雑貨屋さんで見ることが多かったり、友人のSNSで波佐見に行ったり、波佐見の焼き物を買ったという投稿をチラホラ見ていましたが、波佐見焼のもともとの生産体制や、地元商社があるからこそ可能なブランド展開が背景にあったことは全く知りませんでした。窯業地域でそれぞれに条件が異なる中で、伊万里焼をどう地域で継承していくか真剣に考えていらっしゃって、そのアイデアは、非常にクリエイティブ。

まさに我々が今回聞いた話は、「今の伊万里焼」そして「将来の伊万里焼」の話。
伊万里焼の歴史や特徴だけではない、人の思いを含む「生きた伊万里焼」を紹介できるようなものにしていきたいな、とふつふつと感じています。

言うは易しで、編集作業はこれから。学生さん、最後までついてきてくれるかしら、という不安を抱きつつ、エイヤ!と紙面のデザインをこれからの2か月間で行っていきます。

2017年

2017年

Posted by on 1月 13, 2017 in 未分類

九州大学に着任して、1年3か月が過ぎました。
ずっと一緒に仕事をしてきた恩師から、そして長年のフィールドだった白川村からも離れて、この3年でどうしてもやりたいと思うことあります。

それは、自分のこれまで取り組んできた研究やプロジェクトの成果をアウトプットすること。
研究として正式に取り組んできたことだけではなく、自分が白川村に住んで、美瑛町の方とコミュニケーションをとる中で感じ取った研究未満のことも大切にしたい。
また、アウトプットの方法も論文に書くということも大事だけれども、改めて客観的に俯瞰し、必要ならば軌道修正し、新たに研究を展開していきたいという思いがあります。

私の研究の領域は、簡単に言うと文化的景観の保全や観光振興なのですが、特に前者は適用できる制度が決まっていたり、文化財としての蓄積された知識が前提になることが多く、ゼロベースから考えることは少ないのが現状です。
また、チーム制でプロジェクトに取り組んでいることもあり、チームボスの考え方を理解し、みんなで力を合わせて展開するといった状況にならざるをえません。
もちろん、それぞれの地域の個性をどう読み解くか、それをどうマネジメントするのかは地域のオリジナリティが求められるわけで、研究としての価値はあるのですが、研究の本当の意義を、社会の中での位置付けをうまく説明できなかったりする。
結局それでどういうことが起こるかというと、研究のプロセスも含め、本当にそれで良かったのかどうか、自分自身が評価できない状態で不安なまま終わる。
正しかったか、正しくなかったかを知りたいというよりも、自分の立ち位置を自覚して、そこで最大限の働きかけができたかどうかの自信を持ちたい。

そういった状態を解決するため、自分が取り組んできたことがどういうことなのか、自覚したかったし、これから個人として(また新しいチームを組んで)どう研究を展開したいのか、自分の胸にちゃんと問いたかった。

そういうことを、やっぱり日々の業務に流されながらも漠然と考えていたわけですが、最近、都市計画という専門分野だけを前提にして考えていては、答えが出せないのではないか? と思うようになりました。

そのきっかけは、北海道大学の観光に関する研究会で、言語学がご専門の先生が発表された内容を聞いた時に、現場に埋没し、凝り固まっていた考え方に風穴を通してもらった、可能性を広げてもらったように感じたことが根底にあります。

また、都市史がご専門の陣内秀信先生が『イタリア都市の空間人類学』という著書で、「都市は、モノとしての形態や構造、目に見える景観だけで捉えられるものではない。人々の営み、心性、身体性、人間関係、生業、場所との結び付きや意味、記憶、聖と俗、祝祭、信仰のあり方や自然観などと深く関係している。人類学・民俗学、社会史等の領域の研究者たちとの共同研究を行った経験が、こうした考え方に導いてくれた。」と指摘されていたことも。

また、まだ積ん読状態ですが、都市計画がご専門の蓑原敬先生が、社会学がご専門の宮台真司先生と対談をしている『まちづくりの哲学 都市計画が語らなかった「場所」と「世界」』なんかも、思わず買ってしまいました。

何を言いたいかというと、これまで研究を一緒に行ってきたチームや、どっぷり浸かっていた白川村や美瑛町という地域から一旦離れる、ということだけではなく、都市計画という分野から出てみるということも必要なのではないか? ということです。
それは都市計画を専門としないということでは全くなく、都市計画の専門家として、その分野の限界と可能性を自覚し、立ち位置を改めてはっきりさせ、足りない部分を他の学問分野の先生と協働をしていくということなのではないかな?と思います。

そして、幾つかの文献を読み漁る中で、少しずつですが自分の経験や研究成果が客観的にどういうものなのか言語化できそうな感覚が湧いてきて、「これ、きちんと表現したい」という強い気持ちに変わりつつあります。

今年はこれを最優先に取り組んでいきたい。
なんだか最後は決意表明みたいになりましたが、2017年、どうぞ宜しくお願いいたします。

岸政彦『断片的なものの社会学』

岸政彦『断片的なものの社会学』

Posted by on 8月 29, 2016 in

何気なく、本屋さんをブラブラしていた時に出会い、一気読みした本です。
たまに聞くラジオ番組、荻上チキさんのsession-22に岸政彦さんが出演されており、はっきりと内容は覚えていませんが、沖縄をフィールドにライフヒストリーの聞き取りをされている興味深いお話をされていました。

この本は、わかりやすいストーリーを求めてしまう今の社会に対し、そうではない、「断片的」と筆者が表することがらで世界や人生はできているということを教えてくれます。私たちは、なんでも意味を求めてしまうけれども、意味がないものもある。筋道を通すことが不可能なものだらけで、物語の主流からこぼれ落ちる無限のことがらが存在する。そんな現実に、折り合いをつけながら、迷いながら生きていく。

社会学の素晴らしいところは、普段もやもやと感じていることに言葉を与えてもらえることだと私は感じます。この本でも、「土偶と植木鉢」のエピソードや、幸せのイメージが持つ暴力的な側面や、自分そのものが根本的に間違っている可能性を孕みつつ、正しさを訴えたり、行動したりする人間の切なさなど、真剣に考えを深めるわけではないのだけれども、ことあるごとにひょこっと顔を出す考えや気持ちを掬い取ってもらったような感覚になりました。

そして以前、白川村で、かなり個人情報に踏み込んだ調査を行い、その分析がどうしてもできなくなった(生身の人間が生きている現実に直面しきれなくなった)ことがあったことを思い出しました。論文がうまく書けないことからくる不安やプレッシャーもあいまって妙に苦しかった。今から思うと大げさだとも思いますが、論として正しいと思うことを言葉にすることが、私には無理だと思ったし、怖かった。そんなことを考えていた自分を、「覚悟がない」「甘い」ともいうことができますが、そういう感情を抱けた自分というものも、悪くないのかもしれない(というより仕方がなかったのかもしれない)、とこの本を読んで、思った次第です。

 

専門家との贅沢な調査 part2

専門家との贅沢な調査 part2

Posted by on 8月 9, 2016 in 出張

お次は美瑛へ。今回のメインは景観フォーラムへの参加でした(なんと、寒地土木研究所の松田さん提案でトークセッションのコーディネーターに・・・汗)。この景観フォーラムは、美しい村連合の総会@福岡県星野村にて、松田さんの景観に関する講演を聞いた各自治体の首長さんや担当者の方々の「ぜひ我が自治体でもお話を!」という強い要望を受けて、開催されたものです。

松田さんの講演は、熱い景観への想いと、誰でも理解しやすい論理性とで、素晴らしいものでした。よく考えたら、景観工学の専門の方の講演をちゃんと聞いたことなかったかも。どちらかというと、私は建築寄り、文化財寄りの景観なので、「心地よい景観か否か」よりも「その景観にどんな意味(歴史的・文化的)があるのか」を追い求めてきました。なので、改めて美瑛の景観そして自分の身の回りにある景観を分析する指標を与えてもらいました。景観の良し悪しは主観的な判断だと思われていますが、決してそうではなく、景観の見方を学ぶことで、かなり技術的により心地よいものにできるのです。

トークセッションは、当初75分は長い!と思っていましたが、あっという間でした。景観審議会でお世話になっていた写真家の菊池さん、景観計画を策定する際にヒアリングをさせてもらった農家の大波さん、計画策定時に担当部署の長をされていらっしゃった中山さん(現在は観光協会にお勤めです)とご一緒させていただき、これからの景観を前向きに考えるたくさんのお話をしていただきました。

思ったのは、コミュニケーションが大切だということ。このようなフォーラムなのか、もっとざっくばらんに話せるワークショップなのかわかりませんが、まずは多種多様な立場の方々が美瑛の事想っているんだよということを、お互いに知る必要があるのではないかと思いました。その上で、農家さんに気持ちよく営みを続けてもらうために何が必要なのか、新たな観光の仕組みなどを考えていけば、意外とスムーズにいく気がする(楽天的すぎますかね・・・?)。でもそれぐらい意外とこれまで、町の単位でコミュニケーションが行われていなかったのかもしれません。私も福岡から応援したいと思いますし、景観まちづくりにいち研究者として関わり続けられればと思っています。

フォーラムの前後で、寒地土木研究所の方々と美瑛町内各所を巡ることができました。

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ご一緒させていただいた2日間とも、快晴で十勝岳がくっきり!(夏は珍しいとのこと)
麦の刈り取り真っ只中です。麦稈ロールもいたるところで見られました。

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これはとある展望スポットの近くですが、他の場所と同様、立ち入り禁止の看板とテープが貼ってあります。ご存知の方も多いかもしれませんが、来訪者の農地への立ち入りが長年の問題となっています。私たちは来訪者のモラルやマナーの問題としがちですが、景観工学的見方をすると、入ってしまいたくなる空間になってしまっているため、人間の反応(どうしても入りたくなってしまう気持ち)を踏まえた空間整備をする必要があるとのこと。

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青い池にも行きました。青い!! その青さを失わないための管理の努力についてもお話を伺うことができ、感動ひとしおでした。

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北海道のすごいところは、このような天国と見紛う空間がたくさんあるということ。こう言う空間でグランピングができたら・・・という話で盛り上がりました。観光スポットにするということではなく、まだまだ楽しめる空間が美瑛には広がっているのを感じます。このエリアの近くには、こんな場所もあります。

うまく活用すれば(それには空間の管理や運営といったことが必要になるわけですが)、もっと美瑛滞在の幅が広がります。

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こちらは白金エリアにある模範牧場! 牧草ロールがまるでアートのようです。この景色は知らなかった・・・

まだまだ底知れぬ美瑛の魅力。ですが、これからは、来訪者が魅力を一方的に享受する(消費する)だけではない美瑛への関わり方を、美瑛側から提案しなければなりません(残念ながら来訪者が考えるのには限界があります)。農家さんは、決して、環境や景観を作るために農業を営んでいるわけではありません。結果的に生み出されたこういった魅力を、もし、少し「おすそ分け」できるとしたら。十分な対策を能動的に検討しなければならないと、改めて考えた出張でした。

 

専門家との贅沢な調査 part1

専門家との贅沢な調査 part1

Posted by on 8月 9, 2016 in 出張

8月1・2日は白川村、4〜6日は美瑛町に出張しておりました。白川村では、伝統的建造物群保存地区の環境物件・工作物候補の抽出基準の検討と審議会への出席、美瑛町では、景観フォーラムへの参加とその他もろもろの打ち合わせが目的でしたが、どちらも専門家の方々とご一緒させていただき、非常に楽しい時間でした。

白川村では京都女子大学の斎藤先生と。もう、白川村へ向かう車の中から、文化財がいかに最先端の分野なのか、最近の世界遺産登録の動向などなどレクチャーいただく。また、お宿でも、卒論・修論の指導から近代化遺産の保存・活用まで。なんて贅沢な時間! 専門家としてのブレない理念と価値判断、そして長年文化庁にて文化財指定に尽力されてきた功績は非常に大きく、私だけで聞くには本当に勿体無い。

次の日は、環境物件・工作物候補を実際に見て回りながら基準を議論。これまで一つ一つ流路・水路護岸・石積・シュウズ(湧水が出るポイント)などを追加特定しようとしていましたが、水の流れを単位とした、水利用システム(農地景観を含む)を一体として特定する方針となりました。確かに農村景観の保全を考えた際には、個々の要素が持つ履歴に着目しながらも、システムを重視した方が合理的。文化庁の見解でどうなるかまだわかりませんが、新しい特定方針と言えそうです。

調査では、水利システムの上流部、区の当番で管理をしているポイントに地元の方に連れて行ってもらったり、

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樹種と植えられた意味を検討したり、

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保存地区外ですが、立派な石積と景観に感動したり。

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また、伝建審議会にもオブザーバー参加させていただきました。この日の審議会は、議論の前に現地視察が数件。その一つが犬走りの仕様。景観に合った、そして生活のニーズ(砂埃が立たないなど)も叶える技術を実験しているというもの。

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みんな真剣に松本さんの説明に耳を傾ける。建設業の方もいらっしゃるので、強度や耐久性もチェック。慎重に1件ずつ確認し、議論し、より良い方向性へ持って行くことの積み重ねです。守る会(白川郷荻町集落の自然環境を守る会)での議論も含め、本当にこの伝統的建造物群保存地区のこの仕組みは凄い! 昭和51年に重要伝統的建造物群として選定されて以降、景観を変えるすべての行為は、守る会・教育委員会で、そして重要なものは審議会で議論されてきました。多分、総数は2,000件を超えるはず。

世界遺産の知名度以上に、こう言った取り組みの事をもっと発信していってもいいのではないかな?と思います。きっと、文化的な景観を守りたいと思っている世界中の人を勇気づけられるはず。

続く

文化的景観研究集会に参加してきました

文化的景観研究集会に参加してきました

Posted by on 8月 2, 2016 in 学会活動

奈良文化財研究所主催の第8回文化的景観研究集会に参加してきました。
お名前とお噂(いい噂です!)は以前より聞いていたけれども、なかなかお会いできなかった方や、お久しぶりの方とお会いでき、また大学関係者だけでなく、文化的景観の選定地で奮闘していらっしゃる自治体職員の方々の経験や悩みをうかがうことができ、非常に有意義な会でした。

写真を撮ろう撮ろうと思っていつも忘れてしまうのですが、会を増すごとに参加者が増えているようで、大盛況。そして、堅苦しくなくとってもアットホームな雰囲気。
ワークショップ形式で、文化的景観の課題を議論するといったものでしたが、時間オーバーしてもどこも議論を止めない(笑)。そのぐらい真剣。
以前、白川村で働いていた頃に、伝建協の総会に参加させてもらった時にも感じましたが、文化財に関わっていらっしゃる方は熱い方が多い。

議論の中で、気になったポイント(研究的に取り組む必要があるなと感じたこと)は、
・文化財の制度としての文化的景観と、地域の見方としての文化的景観(広義)とに分けて考える必要がある。
・高度経済成長を基盤とした都市計画から、アイデンティティを守るための都市計画への変化が必要であり、その上では文化的景観は漢方薬的な役割を果たすのではないか。
・文化的景観は、多くの学問分野が関わることのできるプラットフォームなのか? それとも文化的景観学を展開することができるのか?
・『世界遺産の文化的景観ー保全・管理のためのハンドブック』(Nora Mitchell、Mechtild Rössler、Pierre-Marie Tricaud編著、奈良文化財研究所景観研究室訳、2015年3月)では、変化のことを「change」ではなく「evolution」としている。
などでした。

議論の中で思ったのは、都市計画マスタープランの策定が全ての自治体で義務付けられているように、文化的景観が、まちづくりの基盤として把握されるべきデータベース的役割を担うべきなのではないか?ということと、様々な変化に対してルールや基準を設定するのは難しく、一つ一つのまちづくりの判断を文化的景観に照らし合わせてみることこそが、まずは大事なのではないか?ということでした。

その上で、私たちのグループのファシリテーター役の方がおっしゃていましたが、文化的景観として地域を見ることで、どういったことが可能になるのか?、事例を積み上げていく必要があるのだと思います。

また、ポスターセッションで、発表もしてみました。
名付けて(笑)「文化的景観の価値の把握と共有におけるフェノロジーカレンダーの有用性」。
北海道美瑛町を事例に、北大の真板先生と村上先生と連名です。
当日の朝までポスターを作り、kinko’sで慌てて印刷するという、なんともドタバタな状態での発表でしたし、どういった反応が得られるのか最後までドキドキ!でしたが、いろいろな方がコメントしてくださって、純粋に嬉しかったです。

観光まちづくりの手法として真板先生が開発されたカレンダーですが、文化的景観の現場でも活かせるツールなのではないかと思います(そのためには、ある意味批判的に、そして研究的にきっちりと手法や効果を分析する必要があるかと思いますが)。実際に平戸でも取り組まれていますし。もちろん空間的な分析が大前提ですが、景観・生業・生活の調査を串刺すものとして、カレンダーが補完する情報の重要性を感じています。

あぁ・・・でも、この集会がここまで充実したものとなったのは、奈文研の景観研究室で日々調査・研究されている方の人徳や、文化的景観への貢献あってこそなのだなと。
本当にありがとうございました。来年も参加・発表できるように頑張ろう。

石垣島&竹富島

石垣島&竹富島

Posted by on 7月 21, 2016 in プロジェクト

と書くと、まるでバカンスに出かけているようですが、プロジェクトです。今年度より、竹富町からの受託研究で、竹富島の景観マネジメントの研究に取り組むこととなりました。今回は3回目の打ち合わせと資料収集。

竹富島に最初にうかがったのは、もう10年以上前のこと。時が経つのは早い。学部4年生の時に、仲の良かった同級生と先輩が在籍していた研究室のゼミ旅行に、違う研究室であったにもかかわらず(笑)参加したのがきっかけでした。夏休みの暑い季節。伝統家屋を一棟お借りして、合宿スタイルで滞在をし、地元NPOに勤めていらっしゃった先輩の仕事のお手伝い(私は古い瓦を叩いて、使えるものと使えないものとに分別する作業や、御嶽のお掃除を担当)をしたことを覚えています。

そして、夜、その研究室の先生が、地元主催の勉強会でプレゼンテーションをしたのを見て、急遽、修士からの所属研究室を変更したのが、経過的に今の私の原点となりました。なので、竹富島に行かなかったら、全く違う人生を歩んでいたと思います。ゼミ旅行に誘ってくれた先輩に感謝するとともに、参加した自分の図々しさを褒めてあげたい。だって、そうでなかったら、白川村にも決して関わることがなかったから。そう思うとゾッとします・・・。というわけで、竹富島のことを主体的に研究する機会を得られたのは、私にとって特別なことです。

個人の考えですが、研究者として地域に貢献できることなんて、本当に限られている。私ができることと、地元の方から教えてもらうことを比べたら、圧倒的に後者の方が多いことばかり。もちろん、歴史や、祭りなどの伝統について教わることも多いのですが、最も印象的なのは、それらを自分の人生や地域の中に、どう位置付けているのかということ。それは、「文化財保存」や「文化遺産の保護」という言葉では決して表現できない、迫力と、生々しさと、説得力がある。理論ではなくて、島の中で暮らすことの酸いも甘いもひっくるめた経験の中からの言葉で、絶対、金銭的な価値には置き換えられないし、自分の世代だけの話ではなく、先祖から将来世代まで、長いスパンを見据えたもの。うまく表現できませんが(というか表現できたところで意味はない?)、そういった人や思いに触れられることが、最も研究のモチベーションになっている気がします。

さてさて、これからが本番です。

 

中川理 『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』

中川理 『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』

Posted by on 7月 8, 2016 in

昨年度は着任時期が中途半端だったこともあり出来ませんでしたが、今年度からはゼミを行うようになりました。1つは研究・論文指導のためのゼミ。同じユーザー感性学専攻の感性コミュニケーションコースの三島美佐子先生の研究室と合同ゼミという形で開催しています。もう一つは文献講読ゼミ。私の学生時代も研究室で行われていて、その時は長峰晴夫先生の『第 3 世界の地域開発』(名古屋大学出版会 1985年)でした。その当時は、実践の経験もなくちんぷんかんぷん(本当に!)でしたが、改めて白川村で働いていた時に読んだ時には、涙ものの名著でした。

思い出話はさておき、今年の前期は中川理先生の『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』(共立出版 2008年)を読んでいます。学生さんが1名のため、私も参加して、交互に1章ずつ担当し、概要を説明し、感想や疑問を共有しながら議論をするというものです。

私も、風景や景観を対象に研究してきた・いるわけですが、風景や景観は様々な学問分野で取り上げられ、理論構築や実践が積み重ねられてきました。そして、それらの概念の出現や取り上げられ方は、歴史の動き(政治、社会、産業、生活等々の変化)と密接に関わっています。その大きな流れが、この本では整理されています。

私はどちらかというと、現場で学び、実践することを繰り返してきたわけですが、自分がどの流れに属していて、自分と違う景観の取り扱い方もあるのだということに自覚的になることが大事だと思ったので、この本を選びました。(もちろん、学生さんの興味とも擦り合わせてのことですが。)以前、ベネディクト・アンダーソンの本を読んだ感想の投稿で、「自分が行っている研究が、いかに『その場の事実切り取り型』かということを反省。」ということを書きましたが、せめてそうならないよう努力はしよう!ということで。

この本をひとまずの基準点に起きつつ、自分の経験や考えを整理しています。共感するところもあれば、「それだけじゃない!」と強く思う部分もありますが、後者の部分を整理して、論文としてアウトプットしなければならないということなのでしょう(焦)。

まだ中盤で、読み切るまでには数回ありますが、次は何を読もう・・・その時には観光について学びたい学生さんが少し増えている予定なので、観光の基礎的な文献を講読したいなと思っています。