2017年
九州大学に着任して、1年3か月が過ぎました。
ずっと一緒に仕事をしてきた恩師から、そして長年のフィールドだった白川村からも離れて、この3年でどうしてもやりたいと思うことあります。
それは、自分のこれまで取り組んできた研究やプロジェクトの成果をアウトプットすること。
研究として正式に取り組んできたことだけではなく、自分が白川村に住んで、美瑛町の方とコミュニケーションをとる中で感じ取った研究未満のことも大切にしたい。
また、アウトプットの方法も論文に書くということも大事だけれども、改めて客観的に俯瞰し、必要ならば軌道修正し、新たに研究を展開していきたいという思いがあります。
私の研究の領域は、簡単に言うと文化的景観の保全や観光振興なのですが、特に前者は適用できる制度が決まっていたり、文化財としての蓄積された知識が前提になることが多く、ゼロベースから考えることは少ないのが現状です。
また、チーム制でプロジェクトに取り組んでいることもあり、チームボスの考え方を理解し、みんなで力を合わせて展開するといった状況にならざるをえません。
もちろん、それぞれの地域の個性をどう読み解くか、それをどうマネジメントするのかは地域のオリジナリティが求められるわけで、研究としての価値はあるのですが、研究の本当の意義を、社会の中での位置付けをうまく説明できなかったりする。
結局それでどういうことが起こるかというと、研究のプロセスも含め、本当にそれで良かったのかどうか、自分自身が評価できない状態で不安なまま終わる。
正しかったか、正しくなかったかを知りたいというよりも、自分の立ち位置を自覚して、そこで最大限の働きかけができたかどうかの自信を持ちたい。
そういった状態を解決するため、自分が取り組んできたことがどういうことなのか、自覚したかったし、これから個人として(また新しいチームを組んで)どう研究を展開したいのか、自分の胸にちゃんと問いたかった。
そういうことを、やっぱり日々の業務に流されながらも漠然と考えていたわけですが、最近、都市計画という専門分野だけを前提にして考えていては、答えが出せないのではないか? と思うようになりました。
そのきっかけは、北海道大学の観光に関する研究会で、言語学がご専門の先生が発表された内容を聞いた時に、現場に埋没し、凝り固まっていた考え方に風穴を通してもらった、可能性を広げてもらったように感じたことが根底にあります。
また、都市史がご専門の陣内秀信先生が『イタリア都市の空間人類学』という著書で、「都市は、モノとしての形態や構造、目に見える景観だけで捉えられるものではない。人々の営み、心性、身体性、人間関係、生業、場所との結び付きや意味、記憶、聖と俗、祝祭、信仰のあり方や自然観などと深く関係している。人類学・民俗学、社会史等の領域の研究者たちとの共同研究を行った経験が、こうした考え方に導いてくれた。」と指摘されていたことも。
また、まだ積ん読状態ですが、都市計画がご専門の蓑原敬先生が、社会学がご専門の宮台真司先生と対談をしている『まちづくりの哲学 都市計画が語らなかった「場所」と「世界」』なんかも、思わず買ってしまいました。
何を言いたいかというと、これまで研究を一緒に行ってきたチームや、どっぷり浸かっていた白川村や美瑛町という地域から一旦離れる、ということだけではなく、都市計画という分野から出てみるということも必要なのではないか? ということです。
それは都市計画を専門としないということでは全くなく、都市計画の専門家として、その分野の限界と可能性を自覚し、立ち位置を改めてはっきりさせ、足りない部分を他の学問分野の先生と協働をしていくということなのではないかな?と思います。
そして、幾つかの文献を読み漁る中で、少しずつですが自分の経験や研究成果が客観的にどういうものなのか言語化できそうな感覚が湧いてきて、「これ、きちんと表現したい」という強い気持ちに変わりつつあります。
今年はこれを最優先に取り組んでいきたい。
なんだか最後は決意表明みたいになりましたが、2017年、どうぞ宜しくお願いいたします。