岸政彦『断片的なものの社会学』

岸政彦『断片的なものの社会学』

Posted by on 8月 29, 2016 in

何気なく、本屋さんをブラブラしていた時に出会い、一気読みした本です。
たまに聞くラジオ番組、荻上チキさんのsession-22に岸政彦さんが出演されており、はっきりと内容は覚えていませんが、沖縄をフィールドにライフヒストリーの聞き取りをされている興味深いお話をされていました。

この本は、わかりやすいストーリーを求めてしまう今の社会に対し、そうではない、「断片的」と筆者が表することがらで世界や人生はできているということを教えてくれます。私たちは、なんでも意味を求めてしまうけれども、意味がないものもある。筋道を通すことが不可能なものだらけで、物語の主流からこぼれ落ちる無限のことがらが存在する。そんな現実に、折り合いをつけながら、迷いながら生きていく。

社会学の素晴らしいところは、普段もやもやと感じていることに言葉を与えてもらえることだと私は感じます。この本でも、「土偶と植木鉢」のエピソードや、幸せのイメージが持つ暴力的な側面や、自分そのものが根本的に間違っている可能性を孕みつつ、正しさを訴えたり、行動したりする人間の切なさなど、真剣に考えを深めるわけではないのだけれども、ことあるごとにひょこっと顔を出す考えや気持ちを掬い取ってもらったような感覚になりました。

そして以前、白川村で、かなり個人情報に踏み込んだ調査を行い、その分析がどうしてもできなくなった(生身の人間が生きている現実に直面しきれなくなった)ことがあったことを思い出しました。論文がうまく書けないことからくる不安やプレッシャーもあいまって妙に苦しかった。今から思うと大げさだとも思いますが、論として正しいと思うことを言葉にすることが、私には無理だと思ったし、怖かった。そんなことを考えていた自分を、「覚悟がない」「甘い」ともいうことができますが、そういう感情を抱けた自分というものも、悪くないのかもしれない(というより仕方がなかったのかもしれない)、とこの本を読んで、思った次第です。

 

中川理 『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』

中川理 『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』

Posted by on 7月 8, 2016 in

昨年度は着任時期が中途半端だったこともあり出来ませんでしたが、今年度からはゼミを行うようになりました。1つは研究・論文指導のためのゼミ。同じユーザー感性学専攻の感性コミュニケーションコースの三島美佐子先生の研究室と合同ゼミという形で開催しています。もう一つは文献講読ゼミ。私の学生時代も研究室で行われていて、その時は長峰晴夫先生の『第 3 世界の地域開発』(名古屋大学出版会 1985年)でした。その当時は、実践の経験もなくちんぷんかんぷん(本当に!)でしたが、改めて白川村で働いていた時に読んだ時には、涙ものの名著でした。

思い出話はさておき、今年の前期は中川理先生の『風景学 ~風景と景観をめぐる歴史と現在』(共立出版 2008年)を読んでいます。学生さんが1名のため、私も参加して、交互に1章ずつ担当し、概要を説明し、感想や疑問を共有しながら議論をするというものです。

私も、風景や景観を対象に研究してきた・いるわけですが、風景や景観は様々な学問分野で取り上げられ、理論構築や実践が積み重ねられてきました。そして、それらの概念の出現や取り上げられ方は、歴史の動き(政治、社会、産業、生活等々の変化)と密接に関わっています。その大きな流れが、この本では整理されています。

私はどちらかというと、現場で学び、実践することを繰り返してきたわけですが、自分がどの流れに属していて、自分と違う景観の取り扱い方もあるのだということに自覚的になることが大事だと思ったので、この本を選びました。(もちろん、学生さんの興味とも擦り合わせてのことですが。)以前、ベネディクト・アンダーソンの本を読んだ感想の投稿で、「自分が行っている研究が、いかに『その場の事実切り取り型』かということを反省。」ということを書きましたが、せめてそうならないよう努力はしよう!ということで。

この本をひとまずの基準点に起きつつ、自分の経験や考えを整理しています。共感するところもあれば、「それだけじゃない!」と強く思う部分もありますが、後者の部分を整理して、論文としてアウトプットしなければならないということなのでしょう(焦)。

まだ中盤で、読み切るまでには数回ありますが、次は何を読もう・・・その時には観光について学びたい学生さんが少し増えている予定なので、観光の基礎的な文献を講読したいなと思っています。

古市憲寿、トゥーッカ・トイボネン『国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度でも再生できた理由』

古市憲寿、トゥーッカ・トイボネン『国家がよみがえるとき 持たざる国であるフィンランドが何度でも再生できた理由』

Posted by on 4月 18, 2016 in

森と湖、ムーミン、マリメッコやアラビア、イッタラなどのデザインブランドで有名なフィンランド。厚い福祉や教育のシステムを持つ国としても、話題にのぼるフィンランド。映画「かもめ食堂」の舞台として知った人も多いかもしれません。

そういったフィンランドの教育や若者や起業について、フィンランド国内の研究者の11の論文がまとめられています。

人それぞれに、色々と感じるところが違うのだと思いますが、「一見、裕福そうに見えたり、先進的な政策を展開しているように見えるフィンランドも、色々苦労してるのね・・・」という、光が当たるところもあれば影になるところもあるのね、というのが感想。

もっとも興味深かったのは、「創造性」「イノベーション」にかんする論文。フィンランドでは起業が盛んになりつつあり、日本でもこういった言葉が新聞や本屋、まちづくりの現場で盛んに見られるようになっています。私も、「観光学」ならぬ「観光創造学」を打ち立てた研究センターに所属しておりましたが、「創造」って「イノベーション」って何なのか?ということはちゃんと考えたことがない。なんとなく、先行き不透明な社会に対して、誰からも批判されない印籠として、このような言葉を使っているところもある気がします。よくわからないけれども、かっこいいイメージを持っていたりします。

それに対して論文11では、もはやイノベーションは信仰であり、「国の競争力保持と経済成長を人的能力・スキルに委ねよう」という物語(シナリオ)の渦中に私たちはいる、という、俯瞰的に客観視する視点を提供しています。日本も一億総活躍社会を目指しており、国の思惑によりこの物語が紡がれている。でも、この論文は、皆が活躍するという超ポジティブな状態は、同時に皆が否応なく競争に晒される状態であることも指摘。結構痛快。

また論文9では、創造という概念がフィンランドにおいてどのように位置付けられるものなのかを紐解くとともに、創造とは本来、過去の否定から生まれる側面があることを踏まえた上で、フィンランドが「歴史(過去)」と「創造」とにいかに付き合っていくべきなのか?(創造は本当に必要なのか?)問題提起しています。

きっと、今の世の中、創造もイノベーションも必要なのに違いはないと思います。でも耳障りの良い言葉を振りかざしたり、やたら扇動したりするのではなく、論調にあまり流されずに、変わるべき部分とともに変わるべきでない部分も見極めることが大事なのかなと思います。あと、これは個人の意見として、特定の人が声高に叫ぶような概念ではなくて、もっと当たり前で小さな「工夫」という活動の延長にあるべきものなのではないかと。

あと、それぞれの論文の注釈が、古市氏のツッコミになっていることが、個人的にはツボでした。

ベネディクト・アンダーソン著・加藤剛訳 『ヤシガラ椀の外へ』

ベネディクト・アンダーソン著・加藤剛訳 『ヤシガラ椀の外へ』

Posted by on 1月 2, 2016 in

アメリカの政治学者(だが、中国生まれのアイルランド人)であり、東南アジアの地域研究がご専門のベネディクト・アンダーソン。惜しくも昨年12月、インドネシアのジャワ島にて享年79歳で亡くなりました。たまたま前職の飲み会の席で紹介してもらって読み始めた本であり、お恥ずかしながらそれまで著者のことを知らなかったのですが、今まさに読むべくして読んだ本でした。びっくり。

「研究」を本質的に理解するためには、その研究をおこなった人の生い立ちや、過ごした時代や、出会った人や、出会った地域(そしてその地域の歴史、文化、政治的な動き等々)についての理解が欠かすことができない。そのぐらい研究とは、様々な背景を背負ったものであるし、冒険的に新しい価値観を提供するもの。普段、自分が行っている研究が、いかに「その場の事実切り取り型」か…ということを反省。これまでだったら、分野が異なるから…と言い訳をしてきたかもしれませんが、私がぶつかっている壁は、まさにこのことへの思慮のなさだったのだなと確信。

また、大学教育のあり方が問われる時代。九大に着任してから様々な会議に出させてもらうことも多くなりましたが、大学のミッションって何なのか?、教員ってどう行動するべきなのか?、今存続を脅かされている人文社会系の学問とは何なのか?、一方で自然科学系の学問はこのままでいいのか?、そもそもディシプリンって何なのか?、学際的研究が推奨されるのはなぜなのか?、大学の人事ってどんな仕組みなのか?、少子化や外国人の留学生の増加をどのように捉えていけばよいのか?……取り上げるとキリがない多くの「?」にぶち当たっていました。それを考える上での糸口がたくさんこの本には書かれています。しかも、これまでの歴史も含めて極めてわかりやすく、そしてこれからのヒントもたっぷりに。

そして、研究とは、人々(家族、友人、研究仲間、師などなど)、場所(出身地、育った国、大学、研究フィールドなどなど)、機会(時代背景、政治や政策、チャンスなどなど)の出会いによって成り立っており、それらと出会った幸運に感謝しなければならない。これにかんしては、私も同感。でも年齢を重ねる中で、これからもそう思い続けていられるのか。そういった出会いを楽しんでいけるのか……

ヤシガラ椀の外へ出られるかはきっと個人次第だけれども(私含む)、外を意識することには確実になる、オススメの本。